初代讃岐国造が尊信、弘法大師の参籠、屋島の戦いで両氏が祈願した式内
[住所]香川県三豊市高瀬町羽方2136-1
[電話]0875-74-7817
大水上神社(おおみなかみじんじゃ)は、香川県三豊市高瀬町にある神社。「二の宮さん」と呼ばれ、親しまれている。参拝すれば、「讃岐二宮」などとある御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 三野郡「大水上神社(讃岐国・三野郡)」に比定される式内社(小社)。讃岐国二宮で、近代社格では県社。
財田川の支流、宮川の渓谷沿いにある。御祭神は大水上大明神、保牟多別命、宗像大神。大水上大明神は大山積命とされているが、諸説あり。
『三代実録』によれば、貞観7年10月(865年)に従五位上より正五位下に、次いで同17年(875年)5月正五位上とある。
第12代景行天皇の孫で、日本武尊の第五子である武殻王(初代讃岐国造)が当社を尊信し、三野・豊田両郡を社領とした。
武殻王に関する伝承は、東かがわ市の白鳥神社、綾歌郡宇多津町の宇夫階神社、丸亀市綾歌町栗熊西の宇閇神社、塩飽諸島本島の木烏神社などにも残る。
延暦23年(804年)の弘法大師入唐の際、参篭祈願し、後小松天皇、後花園天皇、称光天皇より勅書を賜った。
また、源平屋島の戦い(1183年)に源平両氏が戦捷を祈願したと伝わる。東かがわ市の水主神社も同じような由緒がある。
皇室をはじめ、武家を含め国中の崇敬が篤く、『建久九年二宮社領目録』(建久9年は1198年、鎌倉初期)によれば、200町歩を有した。
そして、一大荘園として勢力を保ち、古く恒例・臨時の造営用途など公武官司の正税でまかなったとされる。
鎌倉時代の建長年間(1249年-1256年)に大造営があったが、室町時代の応永末年(1428年頃)に社殿が大破した。
その際は、朝旨により讃岐一円に人別銭を、永享年間 (1429年-1441年)においては国中の用脚によって再建した。
江戸時代(1603年以降)に至っても累代藩主の崇敬深く、京極氏は社領30石を寄進している。明治5年(1873年)には郷社に、昭和8年(1933年)に県社に昇格した。
現在の建物は永禄年間(1558年-1570年)に再建したものを、明治(1868年)以降改築したもの。
室町時代の作と伝えられる随神像、建久九年の社領目録、建長年中源平両氏の願文、応永三十四年・永享年間の御造営記、天正二年神事次第、宝永六年二宮旧記目録などが伝わっている。
近くにある「二ノ宮瓦窯跡」は、平安後期の瓦を焼いた窯の跡であり、昭和7年(1932年)、国の史跡に指定されている。康永4年(1345年)の銘がある石燈篭が県指定文化財となっている。
境内にある「うなぎ淵」は黒と白のウナギがいるといわれ、雨乞いの際、黒いウナギが現れると雨、白いウナギが現れると日照り、カニがあらわれると大風になると伝えられている。
【ご利益】
水・天候、交通安全、諸産業の振興・発展など
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『延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 讃岐国 三野郡「大水上神社(讃岐国・三野郡)」に比定される式内社(小社)。讃岐国二宮で、近代社格では県社。
財田川の支流、宮川の渓谷沿いにある。御祭神は大水上大明神、保牟多別命、宗像大神。大水上大明神は大山積命とされているが、諸説あり。
『三代実録』によれば、貞観7年10月(865年)に従五位上より正五位下に、次いで同17年(875年)5月正五位上とある。
第12代景行天皇の孫で、日本武尊の第五子である武殻王(初代讃岐国造)が当社を尊信し、三野・豊田両郡を社領とした。
武殻王に関する伝承は、東かがわ市の白鳥神社、綾歌郡宇多津町の宇夫階神社、丸亀市綾歌町栗熊西の宇閇神社、塩飽諸島本島の木烏神社などにも残る。
延暦23年(804年)の弘法大師入唐の際、参篭祈願し、後小松天皇、後花園天皇、称光天皇より勅書を賜った。
また、源平屋島の戦い(1183年)に源平両氏が戦捷を祈願したと伝わる。東かがわ市の水主神社も同じような由緒がある。
皇室をはじめ、武家を含め国中の崇敬が篤く、『建久九年二宮社領目録』(建久9年は1198年、鎌倉初期)によれば、200町歩を有した。
そして、一大荘園として勢力を保ち、古く恒例・臨時の造営用途など公武官司の正税でまかなったとされる。
鎌倉時代の建長年間(1249年-1256年)に大造営があったが、室町時代の応永末年(1428年頃)に社殿が大破した。
その際は、朝旨により讃岐一円に人別銭を、永享年間 (1429年-1441年)においては国中の用脚によって再建した。
江戸時代(1603年以降)に至っても累代藩主の崇敬深く、京極氏は社領30石を寄進している。明治5年(1873年)には郷社に、昭和8年(1933年)に県社に昇格した。
現在の建物は永禄年間(1558年-1570年)に再建したものを、明治(1868年)以降改築したもの。
室町時代の作と伝えられる随神像、建久九年の社領目録、建長年中源平両氏の願文、応永三十四年・永享年間の御造営記、天正二年神事次第、宝永六年二宮旧記目録などが伝わっている。
近くにある「二ノ宮瓦窯跡」は、平安後期の瓦を焼いた窯の跡であり、昭和7年(1932年)、国の史跡に指定されている。康永4年(1345年)の銘がある石燈篭が県指定文化財となっている。
境内にある「うなぎ淵」は黒と白のウナギがいるといわれ、雨乞いの際、黒いウナギが現れると雨、白いウナギが現れると日照り、カニがあらわれると大風になると伝えられている。
【ご利益】
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