出雲族の佐波川流域への膨張発展で創祀、大内・毛利氏が崇敬
[住所]山口県山口市徳地堀3577
[電話]0835-52-0365

出雲神社(いずもじんじゃ)は、山口県山口市徳地にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 周防国 佐波郡「出雲神社二座」に比定される式内社(小社)。周防国二宮で、近代社格では県社

御祭神は、大己貴命事代主命。創祀は不明だが、大古に出雲族が、当社が現在鎮座する佐波川流域へ膨張発展したに伴い、その一族が祖神を鎮斎したものと考えられている。

鎮座は奈良時代の霊亀元年(715年)と伝えられる。奈良時代の天平9年(737年)には、周防国二宮として勅許を受けたという。

『周防国正税帳』(東大寺文書)によると、当社への春秋祭祀料は二拾束、雑用料及び神戸神田社領を奉納するなどの記述がみえる。

鎌倉・室町時代に至ると、大内・毛利氏など代々の領主・藩主の祈願所となり、また徳地地方の総氏神として崇敬を集めた。

明応6年(1494年)、九州の戦陣から帰った領主大内義興が当社を含め周防国内の5社に戦勝報告し、当社はその2番目であったことから、改めて二の宮としての地位を確立。

その他は、一宮玉祖神社、三宮が仁壁神社、四宮が赤田神社、五宮が朝田神社周防五社詣とも呼ばれる。

戦国時代の享禄2年(1529年)、大内義隆が神馬を寄進し、永禄10年(1567年)、毛利輝元が当社に禁制札を掲げるなどの記録がある(当社文書)。

この他、宝物の寄進、鳥居の建立、社殿の再興・重建・造営を始め、祭祀・祈祷・坪付打渡・幣帛料・裁許任官などの文書が現存し、祭祀・造営などはほとんど藩費をもって護持されていたことが分る。

現社殿は寛延3年(1750年)、藩主毛利宗廣により再建されたもの。

明治6年(1873年)、郷社に列格。明治33年(1900年)には県社に昇格する。大正15年(1926年)、式内勅撰一〇〇〇年式年大祭が執行された。

主な祭事としては、春祭が4月第3日曜日、夏祭が7月第1日曜日、秋祭が10月第3日曜日。古式神事として、七曲神事、蜷蒔神事、千茅神事、誓能神事、七十五膳大献供神事、神幸式所役(宮座)など。

ツルマンリョウ自生地であり、「出雲神社ツルマンリョウ自生地」として、国の天然記念物に指定されている。

神殿の横手に杉の大木があり、県下稀にみる巨樹で、目通り7メートル余、根廻り12.5メートルに達し、町指定天然記念物。

境外末社に宇佐八幡宮(応神天皇神功皇后)、若宮八幡宮(誉田天皇・仁徳天皇)がある。

社号として、出雲大社と間違われやすい。さらに出雲大社には山口分院(山口市吉敷4254)、周防分院(山口市徳地島地10)があり、余計に混同を招く。

【ご利益】
縁結び、開運、農耕、治世・福徳、商工業、医薬など
出雲神社(山口市) - 出雲族の佐波川流域への膨張発展で創祀、大内・毛利氏が崇敬
【関連記事】
周防五社詣 - 大内義興による参詣に由来する、周防国の一宮から五宮まで、巡拝も人気
国の天然記念物がある神社 - 数百年、数千年という単位で存在し続けている自然のパワー
神社の創建年代 - 神代から、神武・神功・継体、そして昭和期まで、主な神社を順に並べた
山口県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
山口県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山口県に鎮座している神社の一覧