弟橘比売命御陵が残る、日本武尊のお手植え橘が御神木の古社
[住所]千葉県茂原市本納738
[電話]0475-34-2400
橘樹神社(たちばなじんじゃ)は、千葉県茂原市本納にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。御祭神である弟橘比売命と、その『古事記』にも描かれた伝承をあしらったオリジナルの御朱印帳がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 上総国 長柄郡「橘神社」に比定される式内社(小社)。上総国二宮で、近代社格では県社。
古くは「橘神社」「橘木神社」とも記された。現在は「橘樹」の2字で「たちばな」と読む。主祭神は弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)。
相殿神に主祭神の夫である日本武尊(やまとたけるのみこと)と、父である忍山宿禰(おしやまのすくね)を祀る。
社伝では、日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。
弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると伝える。
『古事記』には「七日の後、その后の櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて御陵を作り治め置きき」とあり、これが当社のことであるという(『古事記』該当部分)。
また『日本書紀』では、「さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して、こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう、と言われた。(中略)
こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉浦(九十九里浜)を横切って蝦夷の支配地に入られた」とあり、この時祀られたのが由来とされる。
当社では、第12代景行天皇41年辛亥旧暦正月17日に、日本武尊の手により、亡き妻の御墓を築き、橘の樹を墓標の代わりに2株植えたという伝承が伝わる。
現在も御神木は橘であり、古来より邪気を祓い病気を癒す力が宿る実とされている。
今も本殿の背後には、弟橘比売命御陵とされる古墳が残る。本殿が造営されるまで、拝殿から直接古墳を拝む形となっていた。また、境内の吾妻池はこの墳墓を掘った跡の穴であると伝えられる。
国史の初見は、『日本三代実録』元慶元年(877年)5月17日条、従五位勲五等の橘樹神に正五位下の神階を授けるという記述。
元慶8年(884年)7月15日、正五位上の神階が授けられ、日本武尊・忍山宿禰が合祀された。
中世には当社周辺に社領・橘木荘(のち二宮荘)を有した。延宝8年(1681年)には正一位が授けられたという。本殿は、江戸時代の寛政12年(1800年)の造営。寛延元年(1748年)の手水鉢がある。
明治6年(1873年)に県社に列した。
境内には、秋葉神社(伊弉冉命、火産霊命)、粟嶋神社(少彦名命)、稲荷神社(保食命)、子安神社(木花開耶媛命)、窟戸神社(天手力雄命)の末社がある。
例祭は10月体育の日前日。古くは10月10日に行われた。3年ごとの神幸祭では、三基の神輿の渡御と三台の山車が町内を巡行し、市指定有形文化財である粥米地区の鞨鼓舞が奉納される。
上総十二社、つまりいすみ・一宮地区の「上総十二社祭(上総はだか祭)」に参加する一社で、玉前六社の一つ。
また2月17日の祈年祭では、特殊神事として、全国的にも珍しい鶏饌眞名箸料理神事や御的神事が行われる。
【ご利益】
交通安全・道開き・相和・勝運の神、火難・水難・兵難・祓除の神

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上総十二社
・玉﨑神社(いすみ市岬町中原)
・玉崎神社(非現存、現在は飯縄寺。いすみ市岬町和泉)
・玉前神社(いすみ市岬町椎木)
・玉前神社(神洗神社、長生郡一宮町綱田)
・谷上神社(いすみ市岬町谷上)
・玉垣神社(長生郡睦沢町下之郷)
・三之宮神社(長生郡睦沢町北山田)
・橘樹神社(茂原市本納)
・二宮神社(茂原市山崎)
・玉前神社(長生郡一宮町一宮)
・南宮神社(長生郡一宮町宮原)
・鵜羽神社(長生郡睦沢町岩井)
[電話]0475-34-2400
橘樹神社(たちばなじんじゃ)は、千葉県茂原市本納にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。御祭神である弟橘比売命と、その『古事記』にも描かれた伝承をあしらったオリジナルの御朱印帳がある。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 上総国 長柄郡「橘神社」に比定される式内社(小社)。上総国二宮で、近代社格では県社。
古くは「橘神社」「橘木神社」とも記された。現在は「橘樹」の2字で「たちばな」と読む。主祭神は弟橘比売命(おとたちばなひめのみこと)。
相殿神に主祭神の夫である日本武尊(やまとたけるのみこと)と、父である忍山宿禰(おしやまのすくね)を祀る。
社伝では、日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。
弟橘媛が海に身を投じて日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると伝える。
『古事記』には「七日の後、その后の櫛海辺に依りき。すなはちその櫛を取りて御陵を作り治め置きき」とあり、これが当社のことであるという(『古事記』該当部分)。
また『日本書紀』では、「さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して、こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう、と言われた。(中略)
こうして、日本武尊は上総より転じて陸奥国に入られた。そのとき大きな鏡を船に掲げて、海路をとって葦浦(鴨川市吉浦)を廻り玉浦(九十九里浜)を横切って蝦夷の支配地に入られた」とあり、この時祀られたのが由来とされる。
当社では、第12代景行天皇41年辛亥旧暦正月17日に、日本武尊の手により、亡き妻の御墓を築き、橘の樹を墓標の代わりに2株植えたという伝承が伝わる。
現在も御神木は橘であり、古来より邪気を祓い病気を癒す力が宿る実とされている。
今も本殿の背後には、弟橘比売命御陵とされる古墳が残る。本殿が造営されるまで、拝殿から直接古墳を拝む形となっていた。また、境内の吾妻池はこの墳墓を掘った跡の穴であると伝えられる。
国史の初見は、『日本三代実録』元慶元年(877年)5月17日条、従五位勲五等の橘樹神に正五位下の神階を授けるという記述。
元慶8年(884年)7月15日、正五位上の神階が授けられ、日本武尊・忍山宿禰が合祀された。
中世には当社周辺に社領・橘木荘(のち二宮荘)を有した。延宝8年(1681年)には正一位が授けられたという。本殿は、江戸時代の寛政12年(1800年)の造営。寛延元年(1748年)の手水鉢がある。
明治6年(1873年)に県社に列した。
境内には、秋葉神社(伊弉冉命、火産霊命)、粟嶋神社(少彦名命)、稲荷神社(保食命)、子安神社(木花開耶媛命)、窟戸神社(天手力雄命)の末社がある。
例祭は10月体育の日前日。古くは10月10日に行われた。3年ごとの神幸祭では、三基の神輿の渡御と三台の山車が町内を巡行し、市指定有形文化財である粥米地区の鞨鼓舞が奉納される。
上総十二社、つまりいすみ・一宮地区の「上総十二社祭(上総はだか祭)」に参加する一社で、玉前六社の一つ。
また2月17日の祈年祭では、特殊神事として、全国的にも珍しい鶏饌眞名箸料理神事や御的神事が行われる。
【ご利益】
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上総十二社
・玉﨑神社(いすみ市岬町中原)
・玉崎神社(非現存、現在は飯縄寺。いすみ市岬町和泉)
・玉前神社(いすみ市岬町椎木)
・玉前神社(神洗神社、長生郡一宮町綱田)
・谷上神社(いすみ市岬町谷上)
・玉垣神社(長生郡睦沢町下之郷)
・三之宮神社(長生郡睦沢町北山田)
・橘樹神社(茂原市本納)
・二宮神社(茂原市山崎)
・玉前神社(長生郡一宮町一宮)
・南宮神社(長生郡一宮町宮原)
・鵜羽神社(長生郡睦沢町岩井)

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