常陸国二宮、機織りの神で徳川光圀が社殿を修造、火災焼失後、江戸期に再建
[住所]茨城県那珂市静2
[電話]029-296-0029

静神社(しずじんじゃ)は、茨城県那珂市静にある神社。参拝すれば、「常道二ノ宮」などとある御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 常陸国 久慈郡「静神社」に比定される式内社(名神大社)で、常陸国二宮。近代社格では県社

社名について、『常陸国風土記』久慈郡の条には、「静織の里」とあり、上古に綾を織る機を知る人がここで初めて織ったのでその由来となったという。

また『和名類聚抄』には常陸国久慈郡に「倭文郷」の記載がある。これらの「シドリ」が縮まり「静」の地名・社名となったと考えられている。いわゆる倭文神社の一つだろう。

なお当地は現在那珂郡地域に位置する。当地を含む久慈川以西は中世には久慈西郡であったが、文禄検地で那珂郡に編入された。

主祭神は建葉槌命(たけはづちのみこと)で、別名を倭文神(しどりのかみ)。

一般的には天羽槌雄神と同一視され、織物の神であると同時に、星神香香背男(ほしのかがせお)を征服した神とされる、武神的な性格を有す。

相殿神に手力雄命(たぢからをのみこと)、高皇産霊命(たかみむすびのみこと)、思兼命(おもいかねのみこと)を祀る。江戸期には手力雄命が主祭神だったとも。

創建について、『新編常陸国誌』では大同元年(806年)に創建されたという社伝を載せる。

前述の文様付の布を織る技術者集団との関係や、当社東方の5世紀を中心とした古墳群(新宿古墳群)との関連性が指摘される。

国史では『日本三代実録』仁和元年(885年)5月22日条で、従五位上の神階が叙せられたと見える。鹿島神宮(一宮)、吉田神社(三宮)とともに、常陸国二宮として崇敬された。

中世には佐竹氏が当地を領有し、佐竹貞義によって当社境内に弘願寺・西方寺・静安寺が設けられた。

江戸時代には、慶長7年(1602年)に徳川秀忠から神領150石が寄進された。その後は水戸徳川家の祈願所とされ、維持管理は藩費によってなされたという。

寛文7年(1667年)に徳川光圀が社殿を修造し、弘願寺含め3寺は廃されたが、この際銅印(重要文化財)が発見されている。これにより神仏習合から唯一宗源神道に改められた。

以後も徳川氏から崇敬され、徳川綱條からは三十六歌仙が奉納され、徳川斉昭が天保12年(1841年)の火災で焼失した社殿を再建。

これらが現社殿を構成している。なお、その火災で燃えた御神木の切り株は現在も境内にある。

明治に入り、近代社格制度では県社に列した。

境内には東京織物卸商業組合が寄進した織姫像があるほか、当社の使いは白い機織り物が長くのびる様を表した白蛇とされ、現在も織物との関係は深い。

三条実美の書となる「静神社」の掛け軸や、桜田門外の変の錦絵などを所蔵する。

摂末社として、手接足尾神社などがある。手接足尾神社は、本殿裏手の山中にある末社で、手足の健康を守護する神として、手差しや草履を納めて祈願する風習がある。

例祭は4月1日。古くは旧暦4月9日に「磯降り神事」として海岸まで神幸が行なわれていた。11月25日が織物祭、秋の大祭が11月25日-27日であり、27日には特殊神事の蔦舞・お笹明神出御が行われる。

【ご利益】
交通安全、身上安全、災難除け、入試合格、必勝祈願、商売繁盛など(公式HP
静神社 - 常陸国二宮、機織りの神で徳川光圀が社殿を修造、火災焼失後、江戸期に再建
【関連記事】
名神大社とは? - 名神祭の対象となる神々、式内社の中でも特異、その細かな特徴は?
茨城県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
茨城県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、茨城県に鎮座している神社の一覧
静神社の御朱印