「こうとうさま」で親しまれる、岡藩主の危機を救った九州三大稲荷
[住所]大分県竹田市拝田原811
[電話]0974-63-1588
扇森稲荷神社(おうぎもりいなりじんじゃ)は、大分県竹田市拝田原にある神社。近代社格では村社。「狐頭様」(こうとうさま)として親しまれ、参拝すれば、御朱印を頂ける。
保食大神(うけもちのおおかみ)、猿田彦神、大宮女命(おおみやのめのみこと)を主祭神に、菅原神、高龗神を配祀する。
佐賀の祐徳稲荷神社、熊本の高橋稲荷神社とともに、九州三大稲荷(九州三稲荷)にも数えられ、地元はもとより、全国から多くの参拝者が訪れるスピリチュアルな場所として知られる。
岡藩藩士が白狐の頭を埋めて以来狐頭原と呼ばれるようになったこの地に、元和2年(1616年)、岡藩主中川久盛が稲荷神を勧請して創祀されたという。
しかし、近隣から古墳時代(5世紀末)の古墳(扇森山横穴墓と稲荷山横穴墓) が発掘され、扇森山横穴墓からは短甲が出土しており、古くから何らかの祭祀が行われていた可能性がある。
また、拝殿の裏側にある金比羅峠から阿蘇山や祖母山といった霊峰が一望でき、この金比羅峠がかつての御神体であったという説もある。
天保年間(1830年-1843年)、江戸屋敷にいた岡藩第12代藩主中川久昭の夢中に稲荷狐頭源大夫と名乗る神霊が現れ、「翌日の(江戸城への)登城は危険なので気をつけるように」との予言を受けた。
実際に登城中に暴漢に襲われたが、この夢告により難を逃れることができたため、御神徳に謝して社殿を寄進、「扇の森」との社号を贈ったことから現社号となった。
ただし、それ以降も「こうとうさま」と呼ばれることが一般的。社殿は明治16年(1883年)に火災で焼失したが、その後間もなく復興した。
昭和16年(1941年)に分霊を勧請、福岡県直方市山部に同名の神社がある。
例祭は初午(はつうま)大祭と呼び、例年旧暦の2月初午の日に斎行する。境内へは100段の石段を登るが、石段の右手に狭い山道(裏参道)もある。
【ご利益】
商売繁盛、家内安全、交通安全、学業成就の神
【関連記事】
・九州三大稲荷 - 佐賀の祐徳稲荷神社、熊本の高橋稲荷神社、大分県竹田市の扇森稲荷神社
・大分県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大分県に鎮座している神社の一覧
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扇森稲荷神社(おうぎもりいなりじんじゃ)は、大分県竹田市拝田原にある神社。近代社格では村社。「狐頭様」(こうとうさま)として親しまれ、参拝すれば、御朱印を頂ける。
保食大神(うけもちのおおかみ)、猿田彦神、大宮女命(おおみやのめのみこと)を主祭神に、菅原神、高龗神を配祀する。
佐賀の祐徳稲荷神社、熊本の高橋稲荷神社とともに、九州三大稲荷(九州三稲荷)にも数えられ、地元はもとより、全国から多くの参拝者が訪れるスピリチュアルな場所として知られる。
岡藩藩士が白狐の頭を埋めて以来狐頭原と呼ばれるようになったこの地に、元和2年(1616年)、岡藩主中川久盛が稲荷神を勧請して創祀されたという。
しかし、近隣から古墳時代(5世紀末)の古墳(扇森山横穴墓と稲荷山横穴墓) が発掘され、扇森山横穴墓からは短甲が出土しており、古くから何らかの祭祀が行われていた可能性がある。
また、拝殿の裏側にある金比羅峠から阿蘇山や祖母山といった霊峰が一望でき、この金比羅峠がかつての御神体であったという説もある。
天保年間(1830年-1843年)、江戸屋敷にいた岡藩第12代藩主中川久昭の夢中に稲荷狐頭源大夫と名乗る神霊が現れ、「翌日の(江戸城への)登城は危険なので気をつけるように」との予言を受けた。
実際に登城中に暴漢に襲われたが、この夢告により難を逃れることができたため、御神徳に謝して社殿を寄進、「扇の森」との社号を贈ったことから現社号となった。
ただし、それ以降も「こうとうさま」と呼ばれることが一般的。社殿は明治16年(1883年)に火災で焼失したが、その後間もなく復興した。
昭和16年(1941年)に分霊を勧請、福岡県直方市山部に同名の神社がある。
例祭は初午(はつうま)大祭と呼び、例年旧暦の2月初午の日に斎行する。境内へは100段の石段を登るが、石段の右手に狭い山道(裏参道)もある。
【ご利益】
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