豊臣秀頼の銅像が立つ、大坂城三の丸跡に鎮座する五大稲荷
[住所]大阪府大阪市中央区玉造2-3-8
[電話]06-6941-3821

玉造稲荷神社(大阪市)(たまつくりいなりじんじゃ)は、大阪府大阪市中央区玉造にある神社。近代社格では府社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

宇迦之御魂大神(稲荷神)を主祭神とし、下照姫命稚日女命月読命軻偶突智命を配祀する。日本五大稲荷の一つとされる場合もある。

社伝によれば、第11代垂仁天皇18年に創建され、当時は比売社と称していた。蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。

豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。戦国時代の戦火で荒廃し、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建された。

元和元年(1615年)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、元和5年(1620年)に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。

社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、寛政元年(1789年)、東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた。

豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。一帯は玉造黒門越瓜ゆかりの地であり、石碑もある。

現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、勾玉などを作っていた玉造部の居住地であったという伝承がある。昭和61年(1986年)、創祀二千年を記念して境内に難波・玉造資料館が開館した。

現在の社殿は昭和29年(1954年)に造営されたものである。平成23年(2011年)10月13日に豊臣秀頼公銅像が建立され、除幕式が行われた。

境内社として、厳嶋神社(御祭神:市杵嶋姫神)、万慶稲荷神社(御祭神:宇迦之御魂大神)、豊臣秀頼の胞衣を祀り、子供の夜泣きに霊験ありとされる胞衣塚大明神などがある。

慶長8年、豊臣秀頼により社殿再建時に奉納された石鳥居「豊臣家奉納鳥居」がある。平成7年(1995年)1月17日に発生した阪神・淡路大震災により下半分が壊れ、現在は上半分が境内に置かれている。

分社として、東雲稲荷神社(大阪府大阪市中央区上町1丁目8-4)がある。新山稲荷神社とも言い、もとは寛政11年(1799年)、当時の大坂城代・松平輝和が城代屋敷内に当社の分霊を祀ったもの。

明治40年(1907年)、現在の大阪府立清水谷高等学校敷地内にあった新山稲荷は、当社境内に遷座。創祀二千年の平成元年(1989年)に分社・東雲稲荷神社として旧境内地付近に再び遷座した。

【ご利益】
商売繁盛、技術・工芸、武運長久、所願成就
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