『義経千本桜』で知られる源九郎狐、宮司不在も復興した日本三稲荷
[住所]奈良県大和郡山市洞泉寺町15
[電話]0743-55-3830

源九郎稲荷神社(げんくろういなりじんじゃ)は、奈良県大和郡山市洞泉寺町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

北向きの本殿に「白狐源九郎」、いわゆる源九郎狐が祀られ、五穀豊穣・商売繁盛のご利益がある。御祭神は宇迦之御魂神

童謡『やまとの源九郎さん』に歌われ、地元では「源九郎さん」の呼び名で親しまれている。小さな稲荷であるが、日本三大稲荷の一つとも言われる。

大和郡山の鎮守とされたため、氏子がおらず、21世紀になってからは宮司不在の神社となっていおり、自治会長が中心となって、町民や有志ボランティアにより復興活動が進められた。

源義経が兄頼朝に追われ、吉野山まで逃げる道中、佐藤忠信に化けた白狐が、静御前を守り通した。義経はその白狐の忠義に感服。

狐の意中の物は、親の皮で出来た御前の鼓であったが、それを知った義経は、自分の名を与えて「源九郎」と名乗ることを許した(忠臣狐伝説)。

人間浄瑠璃及び歌舞伎『義経千本桜』の一幕としても知られている。

菅田明神(不詳)の境内に住む小狐が、近くの淵で村人を苦しめている大蛇を源九郎狐の加勢を得て退治した。

大蛇の尾から宝剣が見つかり、村人はこの宝剣を「小狐丸」と名づけ、天理の石上神宮へ奉納した(妖刀子狐丸伝説)。

翁の姿をした源九郎狐が、長安寺村の宝譽という僧の夢枕に立ち、郡山城に自分を祀ってくれたら城の守護神になろうと告げた。

宝譽は豊臣秀長にこのことを告げ、城内竜雲郭に稲荷が創建されたと伝えられている。

元和元年(1615年)、豊臣方大野治房による郡山城攻撃が行われた際、城下も焼け、その中心へと火が迫ってきた。

それを見た洞泉寺住職天誉和尚が、源九郎狐に祈願をしたところ、突然大雨が降り、大火を免れたという(元和の鎮火伝説)。

大和郡山の柳三丁目に帽子屋があり、ある冬の夜婦人が綿帽子を三つ買いに来た。代金を当社へ取りに来て欲しいと言われたが、当社では誰も心当たりがないという。

主人が不審に思っていると、境内から綿帽子をかぶった三匹の小狐が現れたという(綿帽子を買った狐伝説)。

享保4年(1719年)、現在地に遷座。大正14年(1925年)、現社殿が完成している。洞泉寺には政府公認の遊郭があり、当社は遊女たちの拠り所にもなったという。

4月の第1日曜日に、白狐面をつけた子供行列が練り歩く「源九郎稲荷春季大祭」が行なわれる。公式サイトの他、ブログや、facebookなどを開設している。

【ご利益】
商売繁盛、厄除け、火防
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源九郎稲荷神社の御朱印