終戦までに創建が間に合わず、戦後に建設再開して鎮座、昭和天皇親拝
[住所]宮崎県宮崎市神宮2-4-3
[電話]0985-25-2719

宮崎県護国神社(みやざきけんごこくじんじゃ、宮崎縣護國神社)は、宮崎県宮崎市、宮崎神宮に隣接する形で鎮座する神社。近代社格では内務大臣指定護国神社、現在は全國護國神社會の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

全国各道府県の護国神社は、ほとんど明治維新の当時に招魂社として創建され、戦前より慰霊の祭儀が行われていた。

しかし宮崎県は、明治維新の当時、小藩分立の状態であったなどの事情もあり、県内全域の御霊を祀る招魂社は創立されなかった。

そこで県としては、移設のできる小さな社殿を造り、毎年祭場を設営して県下全戦没者の招魂祭を執り行ってきた。

昭和16年(1941年)12月、太平洋戦争の勃発により戦没者の数が急増し、護国の英霊に対する県民の感謝と敬仰の念が深まり、当時の知事をはじめ各界の代表者数十名が設立者となって宮崎県護国神社建設奉賛会を組織。

昭和18年(1943年)4月23日、内務大臣の許可を得て宮崎市下北方の高台を鎮座地に定め、建設工事に着手した。

しかし、建設途上において、昭和20年(1945年)8月15日の終戦を迎え、日本が連合国の占領下におかれるとともに、当時の宮崎軍民政部長官マスマン少佐の厳命により建設を放棄するのを余儀なくされた。

内務大臣指定護国神社ながら、創建が間に合わなかった神社の一社となった。

その後、講和条約の発効を経て、護国神社再建の要望が高まり、昭和28年(1953年)4月宮崎県護国神社再建奉賛会を組織して県民の浄財を募り、神社の再建に着手、昭和30年(1955年)3月竣工、同日に鎮座祭を斎行した。

御祭神は、国家公共に尽くした人の神霊。昭和48年(1973年)4月7日、昭和天皇・皇后陛下(香淳皇太后)が親拝。

例祭は4月10日。みたま祭が8月14日・15日に斎行され、小学生による剣道大会、盆踊りなどが奉納される。

境内には遺品館がある。主に太平洋戦争で国に命を捧げた英霊の遺品を展示している。

【ご利益】
国と地域の守護神
宮崎県護国神社 - 終戦までに創建が間に合わず、戦後に建設再開して鎮座、昭和天皇親拝
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