大垣城址に鎮座、岐阜西濃・飛騨地方出身の護国の英霊1万8900余柱を祀る
濃飛護國神社(岐阜県大垣市郭町2-55)
[住所]岐阜県大垣市郭町2-55
[電話]0584-78-4048

濃飛護國神社(のうひごこくじんじゃ、濃飛護国神社)は、岐阜県大垣市郭町にある神社。近代社格では内務大臣指定護国神社、現在は全國護國神社會の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

大垣城址(大垣公園)に鎮座する。岐阜県、主として西濃・飛騨地方出身の護国の英霊1万8900余柱を祀る。

明治2年(1869年)8月、旧大垣藩主戸田氏共が戊辰戦争に参加した大垣藩士の戦死者54名を祀るため、大垣城下の操練場に仮招魂祠を創建したのに始まる。

翌明治3年(1870年)8月、大垣城二の丸を招魂場と定めて祠宇を創建し、祭式を執り行った。明治8年(1875年)9月、国庫から毎年神饌、祭祀料、営繕費が支給されることになり、官祭招魂社(大垣招魂社)と改称。

明治12年(1879年)には西南戦争に従軍し戦死した大垣在籍の士族ら12名を合祀。明治24年(1891年)の濃尾地震で社殿が倒壊したため、有志の寄付金のほか内務省から改築補助金として金500円が交付され、明治28年(1895年)10月に再築落成式祭が行われた。

明治30年(1897年)及び明治33年(1900年)に岐阜県出身の軍人で日清戦争に従軍して戦病死した253名を合祀し、明治37年(1904年)と明治38年(1905年)に日露戦争に従軍して戦病死を遂げた岐阜県出身者2552名が合祀された。

その後、社殿拡張と改築の機運が高まり、岐阜県下の在郷軍人が中心となって招魂社改築期成同盟会を組織して寄付金を募集した。明治39年(1906年)に工事着手、明治42年(1909年)に竣工した。

昭和14年(1939年)3月27日に官祭「濃飛招魂社」に改称し、次いで内務省指定の護国神社となり、現社号に改称した。内務省神社局技師・角南隆の設計に基づいて造営工事中の昭和20年(1945年)7月29日、大垣空襲で本殿、拝殿、社務所が全焼した。

昭和27年(1952年)4月28日にサンフランシスコ講和条約が発効して主権が回復すると再建に着手、昭和31年(1956年)4月に起工、昭和33年(1958年)4月21日に本殿が竣工し、翌昭和34年(1959年)に幣殿及び拝殿が竣工した。

昭和40年(1965年)には西濃運輸(現・セイノーホールディングス)創業者・田口利八が大鳥居を奉納した。同年10月26日に昭和天皇と香淳皇后が第20回国民体育大会(岐阜国体)行啓の折に親拝している。

例祭は春季が4月23日、秋季が9月22日。

岐阜県内には他に岐阜市に岐阜護國神社などがある。

【ご利益】
国と地域の守護神
濃飛護國神社 - 大垣城址に鎮座、岐阜西濃・飛騨地方出身の護国の英霊1万8900余柱を祀る
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