盛岡藩で勤皇を説いた目時と中島の慰霊が端緒、盛岡八幡宮境内に鎮座
[住所]岩手県盛岡市八幡町13−2
[電話]019-652-5211

岩手護国神社(いわてけんごこくじんじゃ、岩手護國神社)は、岩手県盛岡市八幡町、盛岡八幡宮の境内にある神社。近代社格では内務大臣指定護国神社、現在は全國護國神社會の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

戦争で亡くなった岩手県に関係する人々の魂を祀る。始まりは、明治2年(1869年)、当時の県知事である南部利恭によって、岩手郡東中野村茶畑(現 盛岡市内)に社殿が建立されたことによる。

もともとは明治維新の際に亡くなった勤皇の志士である目時隆之進と中島源蔵を祀った。二人は藩論が真っ二つに割れていた盛岡藩において、一貫して勤皇を説き、同調して藩論を導こうとしたが、明治維新前後に相次いで、それぞれの事情で切腹した。

中嶋が切腹に用いた短刀は「道暁」「月山源貞一」の2口であり、ともに市指定文化財となっている。

その後、戊辰・西南の役、日清・日露、第一次世界大戦、大東亜戦争にいたる多くの戦争において戦没したおよそ3万5800柱の英霊を祀っている。

明治39年(1906年)、盛岡八幡宮の境内に移され、昭和14年(1939年)に現社号に改称。

例祭は5月3日。8月15日には戦没者追悼平和祈願祭、10月1日には秋季慰霊祭、11月1日には創建記念祭・維新十柱祭が斎行される。

境内には、岩手県戦没者遺品館がある。岩手県出身の戦没者の遺品、8000余点が展示・保存されている。開館時間は10:00-16:00 。この時間内なら社務所に連絡すれば自由に参観できる。

また、平和の塔、戦没者遺骨奉安殿、霊璽簿奉安殿がある。

【ご利益】
国と地域の守護神(公式HP
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