御祭神は庶民出身の未婚の兵士、若者参拝促す「なでふくろう」縁結び
[住所]北海道函館市青柳町9-23
[電話]0138-23-0950
函館護国神社(はこだてごこくじんじゃ)は、北海道函館市青柳町にある神社。近代社格では内務大臣指定護国神社、現在は全國護國神社會の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社から函館市電宝来町停留場に到る坂は「護国神社坂」(招魂社時代は「招魂坂」)と呼ばれている。坂を下りたところには高田屋嘉兵衛の立像がある。
御祭神は、道南の戦死した青年兵士およそ1万3000余柱。すべて庶民出身の兵士たち。
明治2年(1869年)5月、箱館戦争が終結すると、新政府軍は同月21日に大森浜で戦死者の招魂祭を行った。室蘭から函館に移送された旧幕府軍捕虜の一部を使役して函館山麓に招魂場を造らせたのが始り。
その後は函館招魂社と呼ばれ、昭和14年(1939年)に現社号に改名および指定護国神社となり、函館連隊区を崇敬区域とした。
第二次大戦後の昭和21年(1946年)、GHQに配慮して名称を潮見丘神社に変更したが、昭和30年(1955年)に復称。
社殿は昭和17年(1942年)の建築。境内には招魂場の碑、橘鎮魂之碑、官軍墓地、唱歌「チューリップ」の碑などがある。
例祭は当初、6月10日と定められたが、明治38年(1905年)に5月6日へ変更した後、大正2年(1913年)からは現在の5月11日となった。明治初期の例祭は、函館の神社の中で最も賑わった祭であり、麓の蓬莱町遊郭では招魂社競馬も行われていた。
社務所の前に「なでふくろう」が設置されている。御祭神の多くは独身であるため、お慰めするには若い方の参拝が最善とし、現在では、縁結びにご利益があるとされる。
【ご利益】
国の平安、郷土と家族の繁栄、縁結び(公式HP)

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[電話]0138-23-0950
函館護国神社(はこだてごこくじんじゃ)は、北海道函館市青柳町にある神社。近代社格では内務大臣指定護国神社、現在は全國護國神社會の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
当社から函館市電宝来町停留場に到る坂は「護国神社坂」(招魂社時代は「招魂坂」)と呼ばれている。坂を下りたところには高田屋嘉兵衛の立像がある。
御祭神は、道南の戦死した青年兵士およそ1万3000余柱。すべて庶民出身の兵士たち。
明治2年(1869年)5月、箱館戦争が終結すると、新政府軍は同月21日に大森浜で戦死者の招魂祭を行った。室蘭から函館に移送された旧幕府軍捕虜の一部を使役して函館山麓に招魂場を造らせたのが始り。
その後は函館招魂社と呼ばれ、昭和14年(1939年)に現社号に改名および指定護国神社となり、函館連隊区を崇敬区域とした。
第二次大戦後の昭和21年(1946年)、GHQに配慮して名称を潮見丘神社に変更したが、昭和30年(1955年)に復称。
社殿は昭和17年(1942年)の建築。境内には招魂場の碑、橘鎮魂之碑、官軍墓地、唱歌「チューリップ」の碑などがある。
例祭は当初、6月10日と定められたが、明治38年(1905年)に5月6日へ変更した後、大正2年(1913年)からは現在の5月11日となった。明治初期の例祭は、函館の神社の中で最も賑わった祭であり、麓の蓬莱町遊郭では招魂社競馬も行われていた。
社務所の前に「なでふくろう」が設置されている。御祭神の多くは独身であるため、お慰めするには若い方の参拝が最善とし、現在では、縁結びにご利益があるとされる。
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国の平安、郷土と家族の繁栄、縁結び(公式HP)

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