「冨士山下宮」流鏑馬や筒粥祭の神事、大塔宮護良親王の首級
[住所]山梨県富士吉田市下吉田5221
[電話]0555-22-1025

小室浅間神社(おむろせんげんじんじゃ)は、山梨県富士吉田市下吉田にある神社。近代社格では郷社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。御祭神の女神をあしらったオリジナルの御朱印帳がある。

旧称は下宮浅間神社。「冨士山下宮小室浅間神社」(富士山ではない)とも称し、地元では「下浅間(しもせんげん)」とも呼ばれる。御祭神は木花咲耶姫命

社伝によれば、延暦12年(793年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が東征の際、現鎮座地より富士山を遙拝して戦勝を祈願し、戦勝後の大同2年(807年)、神恩に感謝して社殿を造営したのに始まるという。

上吉田・下吉田・松山の三郷の総鎮守とされ、中世には武田家が祈願所として崇敬した。明治に入り、氏子地域であった上吉田を北口本宮冨士浅間神社に割譲し、それまでの「下宮浅間神社」から現社号に改称。

元々「小室浅間神社」とは、富士山二合目にある山宮の名称であった。ただし、上吉田 にある北口本宮冨士浅間神社に対する「下宮」ではなく、富士山二合目にある小室浅間神社、もしくは富士山そのものを「上宮」とした際の、当社は「下宮」。

ただ、一般的には北口浅間を「上浅間」、小室浅間神社を「下浅間」と呼ぶことが定着している。

平成16年(2004年)の新潟中越地震の数日後、本殿前の大鳥居が倒れる事故が起こった。倒壊前後、付近に人通りはほぼ無く、けが人は出なかった。平成22年(2010年)7月、「御更衣祭」の附帯事業として大鳥居の再建が実現した。

例祭は9月19日。流鏑馬神事が有名。地元では「うまっとばかし」と呼ばれる。境内では流鏑馬に使う神馬が飼育されており、この馬は日本中央競馬会(JRA)から奉納されたものである。

一般的な流鏑馬と異なり、農耕信仰及び土地の人々に密接した変わった神事で、市の無形民俗文化財に指定されている。「切火」と呼ばれる一週間に渡る潔斎と世襲の「占人」が馬の足跡によって吉凶を占う「馬蹄占」が特徴。

平成19年(2007年)9月18日の宵祭りに、担ぎ手が不足し途絶えていた富士山神輿が半世紀ぶりに復活した。

60年に一度の例祭では、御祭神の神体の着衣を替える「御更衣祭」が行われる。前回は平成22年(2010年)9月19日深夜2時に実施され、次回は2070年である。「御更衣祭」の時以外に御神体を目にすると、必ず良くないことが起きると伝えられている。

1月14日夜から翌日未明にかけて筒粥祭の神事が行われる。年間の五穀豊穣・天候・養蚕・富士山登拝者数を占い、特に富士参詣者の多寡を占う点が特徴。結果は筒粥占標として公表される。

当社には鎌倉宮の御祭神である大塔宮護良親王の御首級が密かに埋葬されているという古文書があり、場所は境内の「御神木桂の木」の根本とされている。親王は、夏の暑い中、土牢に捕らわれ幽閉されていたため、富士山の地下水を汲み上げた水場が用意されている。

【ご利益】
勝運、五穀豊穣、登山・交通安全、所願成就など(公式HP
小室浅間神社(下浅間) - 「冨士山下宮」流鏑馬や筒粥祭の神事、大塔宮護良親王の首級
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