樹齢2000年以上の大樟で知られる、創建伝承にちなんだ例祭と鹿島踊の奉納
[住所]静岡県熱海市西山町43-1
[電話]0557-82-2241
来宮神社(きのみやじんじゃ)は、静岡県熱海市西山町にある神社。近代社格では村社、現在は別表神社の別表神社。
参拝すれば、御朱印を頂ける。シンボルとなっている御神木の大樟をあしらったオリジナルの御朱印帳がある。
古くは「木宮明神」や「来宮大明神」などと呼ばれ、明治維新後、式内社「阿豆佐和気命神社/阿豆佐和氣命神社」に比定されたため、阿豆佐和気神社(あずさわけじんじゃ)を称した。
しかし、その比定の誤りが判明したために現社名に復称した。ただし、当社自身は現在も式内社を主張する。
なお、東京都利島村に式内同名神社があり、こちらが現在は式内社として有力。
御祭神は、日本武尊、五十猛命(いたけるのみこと)、大己貴命(おおなもちのみこと)。この三柱を主祭神として、稲荷神社・柿本社・天神社を相殿に祀る。
五十猛命はまたの名を大屋毘古神とされる。『走湯山縁起』は伊豆山神社の地主神としている。
「きのみや」を「忌の宮」と解し、禁酒など断ち物の祈願をする者も多い。県内には伊豆市八幡にも来宮神社があり、伊東市には八幡宮来宮神社があって、キノミヤ信仰との関連が指摘される。
社伝によれば、奈良時代の和銅3年(710年)、熱海湾で網に木の根が掛かることが三度重なり、不思議に思った漁師があらためると神像のようだったので、近くの松の下に祀って、持っていた麦こがしを供えた。
その夜の夢に五十猛命が現れ、潮騒が耳障りであるとの神託があり、現在地に遷祀したといい、木の根を御神体としたところから「木の宮」と称えたという。
漂着物を祀ったのに始まり、御祭神を木の神五十猛命とするなど、キノミヤ信仰が顕著に認められる神社である。
なお、坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、当社の分霊を東北地方を始め各地に鎮座させたという伝承もある。
例祭は7月15日。木の根を拾ったのが旧暦6月15日であったため。創建の事情にちなんで、麦こがしを中心に百合根、橙、ところを供える。
また例祭にあわせて、7月15・16日の両日、木の根を拾った大浜海岸まで神輿の渡御がある。
その道中、天狗面に高足駄を履き猿田彦神に扮した者が、麦こがしを撒き散らすので、こがし祭と呼ばれ、これを浴びると夏の病気に罹らないという。
また、県の無形民俗文化財に指定されている鹿島踊の奉納も行われる。踊り手は保存会の男性30名程度で構成され、色紙をいれた柄杓を持つ。
柄杓からこぼれ落ちた色紙は稲米を表し、五穀豊穣・厄払いの意味を持つという。
当社はとにかく、「阿豆佐和気神社の大クス」として当時の社名入りで国の天然記念物に指定されている大楠が有名。
本殿裏にあり、推定樹齢2000年以上、一部枯れているが樹高約20メートル、幹周り約24メートル。これを1周すると寿命が1年延びるとか、願い事が叶うなどと信仰されている。
以前は境内に7株の大楠があったが、嘉永年間(1848年-1853年)、大網事件という漁業権を巡る争論が起こり、訴訟費などの捻出のために5株を伐採した。
旧記によると、この木も伐ろうとしたところ、白髪の老翁が現れて立ち塞がり、樵夫の持つ大鋸を二つに折ってどこかへ消えたので、それ以来御神木として崇めるようになったという。
もう1株も当社入口付近に残存し、第二大楠と呼ばれている。境内社には三峯社・稲荷社・弁才天ほか7社がある。
【ご利益】
武勇と決断、営業繁盛・身体強健、樹木と自然など(公式HP)
【関連記事】
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[電話]0557-82-2241
来宮神社(きのみやじんじゃ)は、静岡県熱海市西山町にある神社。近代社格では村社、現在は別表神社の別表神社。
参拝すれば、御朱印を頂ける。シンボルとなっている御神木の大樟をあしらったオリジナルの御朱印帳がある。
古くは「木宮明神」や「来宮大明神」などと呼ばれ、明治維新後、式内社「阿豆佐和気命神社/阿豆佐和氣命神社」に比定されたため、阿豆佐和気神社(あずさわけじんじゃ)を称した。
しかし、その比定の誤りが判明したために現社名に復称した。ただし、当社自身は現在も式内社を主張する。
なお、東京都利島村に式内同名神社があり、こちらが現在は式内社として有力。
御祭神は、日本武尊、五十猛命(いたけるのみこと)、大己貴命(おおなもちのみこと)。この三柱を主祭神として、稲荷神社・柿本社・天神社を相殿に祀る。
五十猛命はまたの名を大屋毘古神とされる。『走湯山縁起』は伊豆山神社の地主神としている。
「きのみや」を「忌の宮」と解し、禁酒など断ち物の祈願をする者も多い。県内には伊豆市八幡にも来宮神社があり、伊東市には八幡宮来宮神社があって、キノミヤ信仰との関連が指摘される。
社伝によれば、奈良時代の和銅3年(710年)、熱海湾で網に木の根が掛かることが三度重なり、不思議に思った漁師があらためると神像のようだったので、近くの松の下に祀って、持っていた麦こがしを供えた。
その夜の夢に五十猛命が現れ、潮騒が耳障りであるとの神託があり、現在地に遷祀したといい、木の根を御神体としたところから「木の宮」と称えたという。
漂着物を祀ったのに始まり、御祭神を木の神五十猛命とするなど、キノミヤ信仰が顕著に認められる神社である。
なお、坂上田村麻呂が戦勝を祈願し、当社の分霊を東北地方を始め各地に鎮座させたという伝承もある。
例祭は7月15日。木の根を拾ったのが旧暦6月15日であったため。創建の事情にちなんで、麦こがしを中心に百合根、橙、ところを供える。
また例祭にあわせて、7月15・16日の両日、木の根を拾った大浜海岸まで神輿の渡御がある。
その道中、天狗面に高足駄を履き猿田彦神に扮した者が、麦こがしを撒き散らすので、こがし祭と呼ばれ、これを浴びると夏の病気に罹らないという。
また、県の無形民俗文化財に指定されている鹿島踊の奉納も行われる。踊り手は保存会の男性30名程度で構成され、色紙をいれた柄杓を持つ。
柄杓からこぼれ落ちた色紙は稲米を表し、五穀豊穣・厄払いの意味を持つという。
当社はとにかく、「阿豆佐和気神社の大クス」として当時の社名入りで国の天然記念物に指定されている大楠が有名。
本殿裏にあり、推定樹齢2000年以上、一部枯れているが樹高約20メートル、幹周り約24メートル。これを1周すると寿命が1年延びるとか、願い事が叶うなどと信仰されている。
以前は境内に7株の大楠があったが、嘉永年間(1848年-1853年)、大網事件という漁業権を巡る争論が起こり、訴訟費などの捻出のために5株を伐採した。
旧記によると、この木も伐ろうとしたところ、白髪の老翁が現れて立ち塞がり、樵夫の持つ大鋸を二つに折ってどこかへ消えたので、それ以来御神木として崇めるようになったという。
もう1株も当社入口付近に残存し、第二大楠と呼ばれている。境内社には三峯社・稲荷社・弁才天ほか7社がある。
【ご利益】
武勇と決断、営業繁盛・身体強健、樹木と自然など(公式HP)
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