空海ゆかり、西日本最高峰石鎚山に鎮座する、四社からなる石鎚信仰の総本宮
[住所]愛媛県西条市西田甲797
[電話]0897-55-4044
石鎚神社(いしづちじんじゃ)は、愛媛県西条市にある神社。西日本最高峰石鎚山を神体山とする神社で、近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。
山麓に鎮座する口之宮本社、山腹の中宮成就社(常住社)と土小屋遙拝殿、山頂の奥宮頂上社の四社の総称である。
参拝すれば、四社それぞれの御朱印を頂ける。登拝には、鎖を使う岩盤登りなどが必要で、それをあしらったオリジナルの御朱印帳がある。
また、奥宮頂上社にしかない御守などもある。口之宮本社と中宮成就社が年間を通じて神職が常駐する。
御祭神は石鎚毘古命、石鎚大神とも。『古事記』では石土毘古神。伊邪那岐命と伊邪那美命の、国産み・島産み後の神産みにおける第二子で、天照皇大神の相当離れた兄に当たる。
御祭神は一神だが、後述の夏山開き大祭における御神像は三体。御神徳を仁智勇の玉持ち神像(和魂)、鏡持ち神像(奇魂)、剣持ち神像(荒魂)の三体の神像に現すという。
石鎚山は古くから日本七霊山の一つとして名高く、『日本霊異記』には「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とある。第10代崇神天皇35年、石鎚の峯に神を勧請したと伝わる。
また、第40代天武天皇14年(685年)に役小角(神変大菩薩)が開山、引き続き、上仙法師(寂仙または石仙とも)が開山したという。
その後、空海自作の『三教指帰』に「或ときには石峯に跨りて」と記されていることから、空海、後の弘法大師も修行したことは間違いない。
石鎚蔵王権現と称され、別当の前神寺(四国八十八箇所第64番)・横峰寺(同第60番)のもとで、神仏習合・修験の道場として繁栄した。
朝廷・武家の崇敬が篤く、桓武天皇の勅願によって建立された前神寺には、文徳天皇・高倉天皇・崇徳天皇・後醍醐天皇など歴代天皇が納めた仏像や経巻が伝わる。
南北朝時代の興国3年(1342年)には後村上天皇が朝敵退散を祈願するために勅使を遣わした。武家では河野氏が篤く崇敬し、西条藩主・小松藩主も厚く遇した。
安土桃山時代の天正19年(1591年)、伊予の領主となった福島正則は石鉄山常住に参籠する。慶長15年(1610年)、豊臣秀頼が石鉄山常住の神殿を修築した。
江戸時代前期の明暦3年(1657年)、西条藩主一柳直興が石鉄山仏殿を建立した。江戸時代中期の享保13年(1728年)、第8代将軍徳川吉宗が採薬師植村佐平次に登山を命じた。
また、第9代将軍徳川家重が宝暦3年(1752年)に、第10代将軍徳川家治が安永7年(1778年)に、それぞれの厄除け祈祷を命じたと記録がある。
明治2年(1869年)に神仏分離につき取調が始まり、翌年には石鎚権現号が廃止、さらに明治4年(1871年)4月5日に石鉄神社となり、同年7月4日には県社に列格された。
明治維新を経て、前神寺と横峰寺は廃され、前神寺の境内は当社の本社となり、横峰寺は西の遙拝所とされた。
前神寺は明治12年(1879年)、塔頭寺院の医王院と合併し、前上寺として復興した。明治40年(1907年)、旧称に復した。
また、横峰寺は大峰寺として復興、明治43年(1910年)に旧称に復した。明治35年(1902年)3月8日に石鉄神社から現社号に変更した。
戦後は昭和21年(1946年)5月10日、「石鎚教教派総本社」(後の宗教法人石鎚本教)を設立し、神社本庁に属して、別表神社に加列、神仏習合の伝統に基づく教化活動を行っている。
例祭は春季が4月5日、秋季が10月5日。7月1日-10日に、夏山開き大祭が斎行される。
6月30日午前7時半に神輿に載った三体の御神像は口之宮本社を出発、午後3時半頃に成就社に到着。翌7月1日午前6時半に御神像は一体ずつ行者に背負われ頂上社に向けて担ぎ上げられ、午前10時頃到着する。
山頂では、三体の御神像拝戴(神像を信徒たちの背中に当てる)があり祭りは最高潮に。7月10日午前11時半に信徒に担がれた御神像が頂上社から成就社へ下山、午後2時頃到着し、勇壮な練りが行われる。
翌11日午前7時、御神像は成就社から里宮本社へ向かい、正午頃到着、拝戴神事が行われ祭りは終わる。期間中は誰でも御神像拝戴を受けることができる。
平成6年(1994年)6月23日に建立された本宮の朱の大鳥居は高さ14.6メートルで、当社のシンボル(神社の鳥居、高さランキング)。
【ご利益】
家内安全、病気平癒、諸産業の繁栄、学業成就、勇気・忍耐など(公式HP)
【関連記事】
・神社の鳥居、高さランキング - 高さのみに焦点、10メートル以上の鳥居がある全国の神社
・『日本の神社 38号 (伊曽乃神社・石鎚神社) [分冊百科]』 - 愛媛・西条、古事記ゆかりの古社
・愛媛県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
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・愛媛県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、愛媛県に鎮座している神社の一覧
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石鎚神社(いしづちじんじゃ)は、愛媛県西条市にある神社。西日本最高峰石鎚山を神体山とする神社で、近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。
山麓に鎮座する口之宮本社、山腹の中宮成就社(常住社)と土小屋遙拝殿、山頂の奥宮頂上社の四社の総称である。
参拝すれば、四社それぞれの御朱印を頂ける。登拝には、鎖を使う岩盤登りなどが必要で、それをあしらったオリジナルの御朱印帳がある。
また、奥宮頂上社にしかない御守などもある。口之宮本社と中宮成就社が年間を通じて神職が常駐する。
御祭神は石鎚毘古命、石鎚大神とも。『古事記』では石土毘古神。伊邪那岐命と伊邪那美命の、国産み・島産み後の神産みにおける第二子で、天照皇大神の相当離れた兄に当たる。
御祭神は一神だが、後述の夏山開き大祭における御神像は三体。御神徳を仁智勇の玉持ち神像(和魂)、鏡持ち神像(奇魂)、剣持ち神像(荒魂)の三体の神像に現すという。
石鎚山は古くから日本七霊山の一つとして名高く、『日本霊異記』には「石鎚山の名は石槌の神が坐すによる」とある。第10代崇神天皇35年、石鎚の峯に神を勧請したと伝わる。
また、第40代天武天皇14年(685年)に役小角(神変大菩薩)が開山、引き続き、上仙法師(寂仙または石仙とも)が開山したという。
その後、空海自作の『三教指帰』に「或ときには石峯に跨りて」と記されていることから、空海、後の弘法大師も修行したことは間違いない。
石鎚蔵王権現と称され、別当の前神寺(四国八十八箇所第64番)・横峰寺(同第60番)のもとで、神仏習合・修験の道場として繁栄した。
朝廷・武家の崇敬が篤く、桓武天皇の勅願によって建立された前神寺には、文徳天皇・高倉天皇・崇徳天皇・後醍醐天皇など歴代天皇が納めた仏像や経巻が伝わる。
南北朝時代の興国3年(1342年)には後村上天皇が朝敵退散を祈願するために勅使を遣わした。武家では河野氏が篤く崇敬し、西条藩主・小松藩主も厚く遇した。
安土桃山時代の天正19年(1591年)、伊予の領主となった福島正則は石鉄山常住に参籠する。慶長15年(1610年)、豊臣秀頼が石鉄山常住の神殿を修築した。
江戸時代前期の明暦3年(1657年)、西条藩主一柳直興が石鉄山仏殿を建立した。江戸時代中期の享保13年(1728年)、第8代将軍徳川吉宗が採薬師植村佐平次に登山を命じた。
また、第9代将軍徳川家重が宝暦3年(1752年)に、第10代将軍徳川家治が安永7年(1778年)に、それぞれの厄除け祈祷を命じたと記録がある。
明治2年(1869年)に神仏分離につき取調が始まり、翌年には石鎚権現号が廃止、さらに明治4年(1871年)4月5日に石鉄神社となり、同年7月4日には県社に列格された。
明治維新を経て、前神寺と横峰寺は廃され、前神寺の境内は当社の本社となり、横峰寺は西の遙拝所とされた。
前神寺は明治12年(1879年)、塔頭寺院の医王院と合併し、前上寺として復興した。明治40年(1907年)、旧称に復した。
また、横峰寺は大峰寺として復興、明治43年(1910年)に旧称に復した。明治35年(1902年)3月8日に石鉄神社から現社号に変更した。
戦後は昭和21年(1946年)5月10日、「石鎚教教派総本社」(後の宗教法人石鎚本教)を設立し、神社本庁に属して、別表神社に加列、神仏習合の伝統に基づく教化活動を行っている。
例祭は春季が4月5日、秋季が10月5日。7月1日-10日に、夏山開き大祭が斎行される。
6月30日午前7時半に神輿に載った三体の御神像は口之宮本社を出発、午後3時半頃に成就社に到着。翌7月1日午前6時半に御神像は一体ずつ行者に背負われ頂上社に向けて担ぎ上げられ、午前10時頃到着する。
山頂では、三体の御神像拝戴(神像を信徒たちの背中に当てる)があり祭りは最高潮に。7月10日午前11時半に信徒に担がれた御神像が頂上社から成就社へ下山、午後2時頃到着し、勇壮な練りが行われる。
翌11日午前7時、御神像は成就社から里宮本社へ向かい、正午頃到着、拝戴神事が行われ祭りは終わる。期間中は誰でも御神像拝戴を受けることができる。
平成6年(1994年)6月23日に建立された本宮の朱の大鳥居は高さ14.6メートルで、当社のシンボル(神社の鳥居、高さランキング)。
【ご利益】
家内安全、病気平癒、諸産業の繁栄、学業成就、勇気・忍耐など(公式HP)
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