平清盛の厳島神社造営時に再興、10月例祭はヤブととんぼと俵
[住所]広島県呉市清水1-9-36
[電話]0823-21-2508

亀山神社(かめやまじんじゃ)は、広島県呉市清水にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。旧呉市内の総氏神として信仰される。参拝すれば、御朱印を頂ける。

八幡神として品陀和気命(応神天皇)・帯中日子命(仲哀天皇)・息長帯日売命(神功皇后)を祀る。

豊前国宇佐(宇佐神宮)に鎮座していた八幡神が、豊後国姫島(比売語曽社)、安芸国栃原を経て大宝3年(703年)8月15日に宮原村亀山(入船山)に遷座したのに始まると伝える。

当社は皇城宮・大屋比売神社・大帯比売神社・比売志麻神社・鈴音宮などと呼ばれたが、一般には「八幡様」と呼ばれていた。

往古より人々の崇敬篤く、幾多の社領を有し、社殿の規模も雄大で、貴人有志の参拝も多かったと伝えられる。平安期、越前守為時(949年?-1029年?)が筑紫国より都への帰途、隣接の吉浦より当社に参詣し、 浜辺にて当社を詠じられたものとして、次の一首がある。
かうまでに思はざりしに来てみればいとも住みやすき吉浦の里
平清盛が安芸守の頃、音戸ノ瀬戸の堀切の折り、当社に祈願のため蔵人郷を代拝させ、成就の後、厚く報賽したという。その後、清盛が厳島神社を造営する折、当社も再興、永万元年(1165年)に、神殿、玉垣、末社、能舞台も再建したという。

その後、社殿が焼失し、文治5年(1189年)に再建。天文3年(1534年)、大火により伝来の御神器、御神宝のことごとくを焼失。天文17年(1548年)から再興が始まる。

明治19年(1886年)、亀山に呉鎮守府を開設するのに伴い現在地に遷座した。昭和16年(1941年)に県社に列格した。昭和20年(1945年)7月2日、呉市大空襲で一切を焼失。

戦後、昭和21年(1946年)9月、社殿を再建。同年10月、社務所を再建。昭和32年(1957年)に別表神社に加列された。

例祭は10月第2日曜日。その前日の土曜日が宵祭(前夜祭)。例祭当日は、午前中からヤブやお囃子、女神輿と共に呉の商店街や住宅地を廻っていた俵が、午後2時頃には当社に到着し、奉納される。とんぼ、ヤブと俵のもみ合いや俵同士のもみ合いがクライマックス。

「物干し竿バット」で知られるプロ野球・阪神タイガースの藤村富美男ゆかりの地でもあり、その応援歌で「カメヤマさんの神主さんが……いつも何校勝ち勝ち」と歌われたことでも知られる。

海上自衛隊の護衛艦(退役)「しらゆき」、輸送艦「くにさき」の艦内神社に分祀したという。「しらゆき」の艦内神社は他に、三嶋大社金刀比羅宮由加神社本宮を勧請していた。 

似た社号に亀山八幡宮が山口県下関市長崎県佐世保市にある。当社も含め、いずれも宇佐神宮とのゆかりが深く、宇佐=亀山によるものか。

【ご利益】
厄除け、安産(公式HP
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亀山神社(呉市清水)の御朱印
亀山神社(呉市清水)例祭のヤブ
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くにさき - Wikipedia