熊野三山の全ての御祭神を祀る別宮的な存在、湛増と弁慶ゆかりの勝負の神
[住所]和歌山県田辺市東陽1番1
[電話]0739-22-0155

闘鶏神社(とうけいじんじゃ、鬪雞神社)は、和歌山県田辺市東陽にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。旧称は田辺宮、新熊野。通称は権現さん。参拝すれば、御朱印を頂ける。ゆかりのある弁慶をあしらったオリジナルの御朱印帳がある。

第19代允恭天皇8年(419年)9月、熊野権現(現 熊野本宮大社)を勧請し、田辺宮と称したのに始まる。

白河法皇の時代に新宮(速玉)、那智を含む熊野三所権現を勧請した。平安時代末期の熊野別当・湛快の時にさらに天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称し、湛快の子の湛増が田辺別当となった。

弁慶は湛増の子と伝えられ、その子孫を名乗る大福院から寄進された弁慶の産湯の釜が当社に残る。

田辺は熊野街道の大辺路・中辺路(熊野古道)の分岐点であることから、皇族や貴族の熊野参詣の際は当社に参蘢し、心願成就を祈願した。

熊野三山の全ての御祭神を祀る熊野の別宮的な存在であり、当社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいたという。主な御祭神は以下の通り。

西御殿  速玉之男命・事解之男神
本 殿  伊邪那美命
上御殿  伊邪那岐命・天照皇大神・宇賀御魂命
中御殿  瓊々杵尊命鵜草葺不合命火々出見尊天之忍穂耳命
下御殿  火産霊命弥都波能売命稚産霊命埴山比売命
八百萬殿 手力男命・八百万神

『平家物語』などによれば、治承・寿永の乱(源平合戦)の時、湛増は社地の鶏を紅白2色に分けて闘わせ、白の鶏が勝ったことから源氏に味方することを決め、熊野水軍を率いて壇ノ浦へ出陣したという。

このことから闘鶏権現と呼ばれるようになり、明治の神仏分離の際に「鬪雞神社」を正式な社名とした。

社殿6棟が県有形指定文化財(建造物)に指定されている。いずれも江戸前期から中期にかけての造営で、近世の遺風を残している。境内は県指定史跡。

境内社として、藤厳神社、玉置神社、弁天神社、戎神社があり、境外社として、稲荷神社、八坂神社、恵比須神社、弁天神社、浦安神社がある。

例祭は7月24日・25日で、田辺祭と呼ばれる。「お笠」と呼ばれる山車の、上屋には各町の趣向をこらした人形や餅花が飾られ、下屋には囃方の子どもや笛吹き衆が乗って町中を曳き廻す。

10月初旬に弁慶まつり(商工祭)が開催され、弁慶と湛増を中心に繰り広げられた熊野水軍のドラマを壮大な時代絵巻として再現するほか、毎月第3日曜日には弁慶市と呼ばれる朝市が開かれる。

【ご利益】
勝負の神
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闘鶏神社の御朱印