往古は広大な神の宿る森林地帯「うれしのもり」に鎮座する火防の神
[住所]東京都台東区花川戸1-15-13
[電話]-
嬉の森稲荷神社(うれしのもりいなりじんじゃ)は、東京都台東区花川戸にある神社。単に嬉の森稲荷、あるいは嬉の森稲荷社とも。御朱印の有無は不明。
伝承によれば、当社は、江戸時代、浅草三大池といわれた花川戸近辺の達磨池のそばの嬉の森に祀られていた。嬉の森は小さな丘や樹や竹が生い茂っていたという。
その名の由来は明らかではないが、一説に、入り江に面した花川戸のこの森が、船の着くための目標となったことから、この名が起こったものであろうとされている。
ちなみに、嬉の森と呼ばれた森は、隅田川岸に数ヶ所あった。これは、それ以前にあった広大な森が開拓によって分断されたためとされる。
嬉の森(嬉森、うれしのもり)は、本来はこの巨大森林地帯の名とされる。江戸を代表する神社の森の一つで、江戸八森、江戸廿一森の一つ。
当社については不明な部分も多いが、明治40年(1907年)刊の『東京案内』では、「案ずるに嬉の森稲荷は、花川戸町二十七番地に在りたり」と推定している。現在の花川戸1丁目4番の辺りである。
その後、数度の移転の後に昭和2年(1927年)に現在地に移った。旧地や現在地において、大正12年(1923年)9月の関東大震災の焼失を免れ、また昭和20年(1945年)3月の戦火も免れたという。
当社は、火伏の神として信仰され、4月の二の午の日には、近隣の人たちによって祭礼の伝統が受け継がれている。
玉垣には、明治40年創業の現在も営業している天ぷら・割烹の店である花川戸金泉や、明治元年(1868年)創業で現在も営業している日本茶専門店である雷門増田園などが刻まれ、歴史と現在も篤い信仰がうかがえる。
【ご利益】
商売繁盛、火防

【関連記事】
・江戸八森とは? - 江戸期に神が宿る神社の森として崇敬された東京の八つの「森」と神社
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嬉の森稲荷神社(うれしのもりいなりじんじゃ)は、東京都台東区花川戸にある神社。単に嬉の森稲荷、あるいは嬉の森稲荷社とも。御朱印の有無は不明。
伝承によれば、当社は、江戸時代、浅草三大池といわれた花川戸近辺の達磨池のそばの嬉の森に祀られていた。嬉の森は小さな丘や樹や竹が生い茂っていたという。
その名の由来は明らかではないが、一説に、入り江に面した花川戸のこの森が、船の着くための目標となったことから、この名が起こったものであろうとされている。
ちなみに、嬉の森と呼ばれた森は、隅田川岸に数ヶ所あった。これは、それ以前にあった広大な森が開拓によって分断されたためとされる。
嬉の森(嬉森、うれしのもり)は、本来はこの巨大森林地帯の名とされる。江戸を代表する神社の森の一つで、江戸八森、江戸廿一森の一つ。
当社については不明な部分も多いが、明治40年(1907年)刊の『東京案内』では、「案ずるに嬉の森稲荷は、花川戸町二十七番地に在りたり」と推定している。現在の花川戸1丁目4番の辺りである。
その後、数度の移転の後に昭和2年(1927年)に現在地に移った。旧地や現在地において、大正12年(1923年)9月の関東大震災の焼失を免れ、また昭和20年(1945年)3月の戦火も免れたという。
当社は、火伏の神として信仰され、4月の二の午の日には、近隣の人たちによって祭礼の伝統が受け継がれている。
玉垣には、明治40年創業の現在も営業している天ぷら・割烹の店である花川戸金泉や、明治元年(1868年)創業で現在も営業している日本茶専門店である雷門増田園などが刻まれ、歴史と現在も篤い信仰がうかがえる。
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