「穴」から金銅の御神像、家光の崇敬や吉宗から始まった高田馬場流鏑馬
[住所]東京都新宿区西早稲田2-1-11
[電話]03-3203-7212

穴八幡宮(あなはちまんぐう)は、東京都新宿区西早稲田にある神社。江戸八所八幡宮の一社で、近代社格では村社。高田八幡宮、穴八幡神社などとも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

一帯は前方後円墳である。御祭神は応神天皇仲哀天皇神功皇后

社伝によれば、康平5年(1062年)、源義家が奥州からの凱旋の途中、この地に兜と太刀を納め、八幡神を祀ったという。寛永13年(1636年)、ここに的場が造られ、この八幡宮を守護神とした。

寛永18年(1641年)、宮守の庵を造るため、社僧良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れた。

掘った人は「芽出度い」と大喜びし、以来、「穴」と称するようになった。三代将軍徳川家光は、この話を聞いて当社を幕府の祈願所・城北の総鎮護とした。

歴代将軍がたびたび参拝し、八代将軍徳川吉宗は、享保13年(1728年)に世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納した。

流鏑馬はその後も世嗣誕生の際や厄除け祈願として奉納され、当社に伝わる「流鏑馬絵巻」には元文3年(1738年)に奉納された竹千代(後の10代将軍徳川家治)誕生祝の流鏑馬が描かれている。区指定無形民俗文化財。

江戸の庶民からも信仰を集め、特に蟲封じの祈祷は有名だった。明治12年(1879年)には皇太子(後の大正天皇)の御蟲封祈祷も行っている。

昭和20年(1945年)の東京大空襲で、建物の多くを焼失。昭和36年(1961年)、御鎮座900年事業として本殿再建工事を開始、平成10年(1998年)、隨神門を室町時代の様式で再建す、なお境内全域を古書を基に未だ再建途中。

また冬至の「一陽来復」のお守りでも知られる。お守りを受け取れる期間は毎年冬至の日から翌年節分の日までであり、冬至の日は特別に午前5時から受け取ることができる。

なお、現在同神社は旧別当の放生寺と日本キリスト教団早稲田教会と隣接しており、神道、仏教、キリスト教が街の一角で共存している状態が続いている。

慶安2年(1649年)造立、区内最古の水鉢である布袋像の水鉢が区指定有形文化財。江戸城吹上御苑に置かれていたが、徳川家光により奉納されたという。

吉宗奉納を起源とする高田馬場流鏑馬は、明治維新後、長く中断されていたが昭和9年(1934年)に皇太子誕生の際に再興。戦後は昭和54年(1979年)から毎年体育の日に都立戸山公園を会場として行われている。

境外末社に、外れくじ供養などで知られる宝禄稲荷神社がある。また、池立神社などを兼務している。

【ご利益】
蟲封じのほか、商売繁盛や出世、開運
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穴八幡宮の御朱印
穴八幡宮の御朱印20150527