太田道灌が鶴岡八幡宮から勧請して「亀岡」となった江戸城西の鎮護
[住所]東京都新宿区市谷八幡町15
[電話]03-3260-1868

市谷亀岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)は、東京都新宿区市谷八幡町にある神社。市谷八幡宮とも。江戸八所八幡宮の一社で、近代社格では郷社。参拝すれば、「城西之鎮護」などとある御朱印を頂ける。

太田道灌が文明11年(1479年)、江戸城築城の際に西方の守護神として、鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を祀ったのが始まりである。そのため、今でも「城西之鎮護」とされる。

御祭神は誉田別命(応神天皇)、気長足姫尊(神功皇后)、与登比売神(與登比売神、よとひめのかみ)。与登比売神は応神天皇姫(妃)とされるが、当社のみで祀られる神。

通常八幡で祀られている応神天皇の妃は応神皇后の場合が多い。『古事記』記載の応神天皇妃で、音が似通っているものに、弟日売命(おとひめ)や糸井比売(いといひめ)がいる。

勧請元の「鶴岡」に対して「亀岡」と称した。当時は市谷御門の中(現 千代田区内)にあったが、その後戦火にさらされ荒廃した。

江戸時代に入り、寛永13年(1636年)頃に江戸城の外堀が出来たのを機に、茶ノ木稲荷神社が鎮座していた現在地に移転。茶ノ木稲荷神社は現在も境内社として存続している。

3代将軍徳川家光や5代将軍綱吉の実母・桂昌院などの信仰を得て、再興された。江戸期、境内には茶屋や芝居小屋なども並び人々が行き交い、例祭は市中でも華やかなものとして知られ、大いに賑わったという。

その後明治に入り、明治5年(1872年)には神仏分離令により別当寺であった東円寺が廃寺となり、芝居小屋などは撤退し樹木が植えられかつての賑わいはなくなっていった。

その後、昭和20年(1945年)に第二次世界大戦による戦火により、御神木なども含め焼失。昭和37年(1962年)に現在の社殿が再建される。現在でも地域の人々などから信仰を得ている。

境内社としては、茶ノ木稲荷神社の他、金刀比羅宮、出世稲荷神社がある。

大田道灌が奉納したという、軍配団扇(ぐんばいうちわ)が区の登録有形文化財。文化元年(1804年)に建造された銅鳥居は区指定有形文化財。偏額には播磨国姫路藩三代藩主酒井忠道の筆による「八幡宮」の3文字が記されている。

力石が区の指定有形民俗文化財。その他、茶筌塚、百度石などがある。

例祭は、8月13日-8月15日。雅楽の舞楽が奉納される。桂昌院=「生類憐みの令」という関係でニーズが高まったようで、現在はペットに対する祈願に力を入れており、ペットの祈祷や七五三まで用意している。

なお、当社は金弁財天などを兼務している。

【ご利益】
国家安泰・平和成就、西方守護など(公式HP
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