太田道灌の江戸築城で鬼門除けとして勧請創建、境内社“御狸様”の信仰篤い
[住所]東京都千代田区神田須田町2-25-1
[電話]03-3251-6422

柳森神社(やなぎもりじんじゃ)は、東京都千代田区神田須田町にある神社。参拝すれば、「柳森稲荷神社」とある御朱印を頂ける。御朱印はセルフ的なところがあるという。

室町時代の長禄2年(1457年)、太田道灌が江戸築城の時、その東北方すなわち当地に城郭鎮護鬼門除けとして京都伏見稲荷大明神(伏見稲荷大社)を勧請して奉斎したのに始まる。

いわゆる道灌七稲荷の一社。御祭神は倉稲魂大神で、柳原の総鎮守。

神田川土堤一帯に柳の木を多数植え、生い茂る様で柳原と名付けられ、当社名にもつながった。その後、徳川家康の入府と徳川幕府の開設により、当社も商売繁盛の神として賑わいを極めた。

万治2年(1659年)、仙台公神田川堀割の折、外廓の堤を築き、広原の柳を移し植えて、柳原堤と称し、現在地に遷座した。『武江年表』に「柳森いなり、結構成就す」と見える。

新橋の烏森神社、日本橋堀留町の椙森神社とともに江戸三森と称された。江戸七森江戸八森、江戸廿一森などの呼び方も存在するが、いずれにも含まれる。

享保3年(1718年)、長禄2年(1458年)創建の金亀山龍の口稲荷という社を合祀。『江戸名所図会』に記載がある。

元禄(1688年-1704年)と文政(1818年-1831年)の頃には、徳川家より社殿造営の寄進があったが、大正12年(1923年)9月の関東大震災でそれらは烏有に帰した。

その頃までは、この辺一帯、柳町、小柳町、元柳町、向柳町、柳原河岸などと柳にちなんだ町名があったが、それらもいずれも当社にちなむ。昭和5年(1930年)に復興する。

昭和30年(1955年)が当社創建500年祭に相当し、崇敬者の発願によって神楽殿を建立した。

例祭は毎年5月14日・15日。

境内社の福寿社は、5代将軍綱吉の母・桂昌院が信仰していた福寿神(狸)の像を祀る。

狸に「他抜き=他に抜きんでる」という意味をかけ、御狸様(おたぬきさま)として、立身出世や勝負事・金運向上の利益があるとして信仰を集めた。

かつては、八百屋の娘から将軍の生母になった桂昌院にあやかりたいという女性たちに人気だった。

当初は江戸城内に祀られていたが、後に旗本の瓦林邸内に移され、明治維新に際して当社で祀られるようになった。

なお、他に当社の境外摂社として、出世稲荷神社がある。

【ご利益】
商売繁盛、立身出世、勝運、金運
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