証券業界の神、その歴史は源義家の祈願の地、さらに将門由来
[住所]東京都中央区日本橋兜町1-12
[電話]-
兜神社(かぶとじんじゃ)は、東京都中央区日本橋兜町にある神社。御朱印の有無は不明。
主祭神は倉稲魂命、相殿の右に大国主神、左に事代主命を祀る。商業の守護神とされ、創建の由来からも、土地柄としても、現在は証券業界の神とされる。
明治11年(1878年)5月、現在の兜町に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設けられるに当り、取引所関係者一同の信仰の象徴及び鎮守として当社が造営された。
社殿に奉安してある倉稲魂命の御神号は時の太政大臣三條實美公の揮毫になるもの。当社は御鎮座後一度換地が行われた。昭和2年(1927年)に再度換地を行い、兜橋橋畦の現在地約62坪を卜して同年6月御遷座を行い、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。
昭和44年5月、高速道路の建設に伴い御影石造りの鳥居を残して旧社殿を解体し、同46年3月に現在の鉄筋コンクリート一間社流造り・句拝付きの社殿を造営した。
屋根は銅板葺とし、玉垣・参道・敷石などは御影石が用いられている。
境内に安置してある兜岩については、前九年の役(1050年)、源義家が東征の際に岩に願を懸けて戦勝を祈願したことに由来すると伝えられ、兜町という地名はこの兜岩にちなんでつけられたといわれている。
であれば、明治期の創建を遡ることはるか以前から、何らかの祭祀の対象となっていたと思われる。一説には藤原秀郷(俵藤太)が平将門の兜を埋めた場所だともされ、平将門ゆかり。そうなれば、時代はさらに遡ることになる。
加門七海『平将門は神になれたか』(文庫版は『平将門魔方陣』)において、江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として配置されているとの指摘があるが、当社は、その中で北斗七星の柄杓の器の部分であるメラクを構成する一社とされる。
例祭は4月1日。
【ご利益】
商売繁盛、証券売買運、勝運
【関連記事】
・江戸の平将門魔方陣 - 将門封じ? 東京ど真ん中に大規模な北斗七星と調伏の構えが現存
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
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兜神社(かぶとじんじゃ)は、東京都中央区日本橋兜町にある神社。御朱印の有無は不明。
主祭神は倉稲魂命、相殿の右に大国主神、左に事代主命を祀る。商業の守護神とされ、創建の由来からも、土地柄としても、現在は証券業界の神とされる。
明治11年(1878年)5月、現在の兜町に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設けられるに当り、取引所関係者一同の信仰の象徴及び鎮守として当社が造営された。
社殿に奉安してある倉稲魂命の御神号は時の太政大臣三條實美公の揮毫になるもの。当社は御鎮座後一度換地が行われた。昭和2年(1927年)に再度換地を行い、兜橋橋畦の現在地約62坪を卜して同年6月御遷座を行い、鉄筋コンクリート造りの社殿を造営した。
昭和44年5月、高速道路の建設に伴い御影石造りの鳥居を残して旧社殿を解体し、同46年3月に現在の鉄筋コンクリート一間社流造り・句拝付きの社殿を造営した。
屋根は銅板葺とし、玉垣・参道・敷石などは御影石が用いられている。
境内に安置してある兜岩については、前九年の役(1050年)、源義家が東征の際に岩に願を懸けて戦勝を祈願したことに由来すると伝えられ、兜町という地名はこの兜岩にちなんでつけられたといわれている。
であれば、明治期の創建を遡ることはるか以前から、何らかの祭祀の対象となっていたと思われる。一説には藤原秀郷(俵藤太)が平将門の兜を埋めた場所だともされ、平将門ゆかり。そうなれば、時代はさらに遡ることになる。
加門七海『平将門は神になれたか』(文庫版は『平将門魔方陣』)において、江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として配置されているとの指摘があるが、当社は、その中で北斗七星の柄杓の器の部分であるメラクを構成する一社とされる。
例祭は4月1日。
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