黒田官兵衛ゆかりの姫路の牛頭天王総本宮、陰陽師の聖地、伊勢参りの出発地
[住所]兵庫県姫路市広嶺山52
[電話]079-288-4777

廣峯神社(ひろみねじんじゃ、広峯神社)は、兵庫県姫路市広嶺山にある神社。牛頭天王総本宮を主張する。参拝すれば、「広嶺山 武大神」などとある御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 播磨国 餝磨郡「射楯兵主神社二座」「白國神社/白国神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社

『播磨鑑』には「(第10代)崇神天皇の御代に廣峯山に神籬を建て」とある。

奈良時代の天平5年(733年)、唐から帰った吉備真備が都へ戻る途中この地で神威を感じ、それを聖武天皇に報告したことにより、翌天平6年(734年)、白幣山に創建されたのに始まると伝えられる。

広島県福山市の素盞嗚神社の社伝によれば、吉備真備は備後から勧請したとも伝わる。吉備真備は陰陽師でもあり、かつて陰陽師たちの聖地としても賑わった。現在も陰陽の郷、九星詣りをPRする。

天禄3年(972年)に現在地の広峰山頂に遷座。『延喜式』神名帳に直接の記載はないが、一部式内の論社になっている。兵主神社の一つ。

ただし、『日本三代実録』貞観8年(866年)条に「播磨国無位素盞嗚神に従五位下を授く」とあり、いわゆる国史見在社であることは間違いない。

貞観11年(869年)、当社から平安京の祇園観慶寺感神院(現 八坂神社)に牛頭天王(素戔嗚尊)を分祠したとする説があり、貞応2年(1223年)の文書にも「祇園本社播磨国広峯社」とある。

当社から京の八坂神社へ勧請する際に通過して休憩したと伝えられる神戸の祇園神社や大阪の難波八阪神社、京都の岡崎神社などのような遷座の旧跡も存在する。三重の尾鷲神社などにも分祠している。

当社は黒田官兵衛ゆかりの神社としても知られている。官兵衛の祖父である重隆が播州姫路に移り住んで以来の縁であり、黒田家台頭のきっかけともなり、現在も当社は黒田家三代とのつながりを強調している。

また、明治の神仏分離令までは天王山増福寺、広嶺山増福寺等と称し、江戸時代は徳川将軍家の菩提寺である寛永寺の支配下にあった。

近世以降、播州の人が「伊勢参り」するとき、まず当社に参拝してから出発し、帰ってくるともう一度社参した。これを「二度廻り」といい、この慣わしは昭和初期まで続いた。

素戔嗚尊・五十猛命(大屋毘古神と同神とされる)を主祭神として正殿に祀り、左殿に奇稲田姫尊足摩乳命手摩乳命、右殿に宗像三女神天忍穂耳命天穂日命ほかを祀る。

この他、摂末社として、西の白幣山には吉備神社、荒神社、本殿周辺に熊野権現社、稲荷社、天神社、冠者殿社、大鬼社、庚申社、山王権現社、蛭子社、軍殿八幡社、地養社、東の峰には天祖父神社を祀る。

室町時代の文安元年(1444年)に再建された本殿や、拝殿、宝篋印塔が国の重要文化財に指定されている。

平成24年(2012年)2月3日、この日に行われた火渡り神事で使われた火が、本殿の屋根に燃え移り、屋根の一部が焼ける火災があった。

例祭は4月18日で、祈穀祭。これに先立つ4月3日には御田植祭があり、仮田に植えた苗を、立派に実り収穫されたものと見立てて神前に稲穂を供え、御田植祭同様にその年の稲作の豊饒を祈願する神事。

なお、式内社「射楯兵主神社二座」の論社は他に、市内の総社本町の射楯兵主神社、辻井の行矢射楯兵主神社がある。「白国神社」の論社は他に、やはり市内に式内同名神社がある。

【ご利益】
縁結び、病気平癒、厄除け(公式HP
廣峯神社 - 黒田官兵衛ゆかりの姫路の牛頭天王総本宮、陰陽師の聖地、伊勢参りの出発地
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廣峯神社の御朱印