人麻呂の生誕地に鎮座、人麻呂ゆかり49代1300年続く旧家が宮司家
柿本神社(島根県益田市戸田町)
[住所]島根県益田市戸田町イ-856
[電話]0856-28-0307

柿本神社(かきのもとじんじゃ)は、島根県益田市戸田町にある神社。地名の戸田(へた)を取って、戸田柿本神社と呼ばれるのが一般的。御朱印の有無は不明。

和歌三神の一柱である歌聖・柿本人麻呂を祀る。現在の宮司家は、生前の人麻呂とゆかりがある祖を持つ、49代1300年続く旧家。

人麻呂の生誕地とされ、宮司家宅の邸内には人麻呂の墓とされる遺髪塚が伝わる。

市内高津町に同名の神社があり、当社が生誕地であるのに対して、高津柿本神社は人麻呂の終焉地にゆかりのある神社。

もともとこの辺一帯は、柿本家となじみ深い小野氏が治めた小野郷。当社の北には小野氏の祖神を祀る式内社である小野神社がある。

当社には、江戸中期以後に書かれた『柿本人丸旧記』と『柿本従三位人麻呂記』という二つの縁起が伝えられている。

それらによれば、人麻呂は孝徳天皇9年(653年)9月14日、当地に住むカタライという夫婦のもとに突然現れたという。

そのときの年齢は7歳、美童だったと伝わる。カタライ夫婦はこの少年を引き取って大切に育てた。少年は歌の天才で、その名は宮中まで聞こえた。

持統天皇に召されて高位に昇り、柿本人麻呂という名を賜った。晩年、故郷に戻りこの地で死んだという。

カタライ家はその遺髪を貰い受けて墓を築いたものが、今に伝わる遺髪塚だと思われる。同時に、人麻呂の像を作って社に祀った、それが当社の創祀と考えられる。

社殿は奈良時代の神亀年間(724年-729年)に創建されたと伝わる。御神体は老体の人麻呂像。それとは別に七体の像があり、一体は童子姿の人麻呂像、二体はカタライ夫婦像、四体は従者の像だという。

江戸時代後期の文化14年(1817年)、火災で焼失。現在のものは、藩主の命令で文政年間(1818年-1831年)、津和野藩士・大島常一によって造られたものだという。

現在ではカタライは、語らい、語家と考えられており、かのカタライ夫婦は宮司家綾部氏に連なる。

綾部氏には、上記の縁起とは違う言い伝えが残されている。それによれば、柿本氏は語り部(かたりべ)の綾部氏を伴って大和国から石見国に下った。

後に綾部氏の娘を愛して人麻呂が生まれた、という。こちらの方が、柿本氏が大和国ゆかりと言われる通説に符合する。

例祭は4月18日。9月1日には八朔祭が行われる。現在の本殿は文政5年(1822年)4月の再建で、権現造。拝殿は明治29年(1896年)の再建だが、その龍の彫刻の精緻さで知られている。

【ご利益】
学問・産業・疫病厄除けの神
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