人麻呂最期の地とされる石見国・高角山、生誕由来の八朔祭が賑わう
[住所]島根県益田市高津町上市イ2616-1
[電話]0856-22-0756

柿本神社(かきのもとじんじゃ)は、島根県益田市高津町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、「高角山」と社号が入った御朱印を頂ける。

地名を取って、高津柿本神社と呼ばれるのが一般的。鎮座地は丸山の東に張り出した尾根筋の鴨山(高角山)山頂に位置し、

日本各地に点在する和歌三神の一柱である歌聖・柿本人麻呂を祀る柿本神社の総本社とされる。境内を含めた一帯は御祭神にちなんで、昭和50年代から島根県立万葉公園として整備されている。

晩年に国司として石見国に赴任した人麻呂が、奈良時代初期の和銅年間(708年-715年)に下記の辞世の歌を詠んで、益田川河口(旧高津川河口)の鴨島に没した。
鴨山の磐根し枕(ま)ける吾をかも 知らにと妹が待ちつつあらん
神亀年間(724年-729年)、その霊を祀るため、石見国司が聖武天皇の勅命を受けて鴨島に人丸社を創建したのが創祀。また、天平年間(729年-749年)には人丸寺も建立された。

万寿3年(1026年)の地震とそれに伴う大津波で鴨島とともに海中に没したが、神像は高津の松崎に流れ着いたため、その地に社殿と別当寺としての人丸寺が再建された。

その後、後鳥羽天皇の時代には石見国司平隆和によって社殿の改築と水田10町歩の寄進が行われた。

江戸時代に石見銀山奉行の大久保長安による造営と金の灯籠が献納され、さらに延宝9年(天和元年とも、1681年)、風水難を案じた津和野藩主亀井茲親によって高津城のあった現在地に移築された。

別当寺の人丸寺は真福寺と改称された。現本殿は正徳2年(1712年)の造替にかかり、方3間朱塗りの単層入母屋造妻入で、正面に唐破風の向拝を設けた春日造変態。

歴代天皇を始め親王や公卿にあっては特別に法楽を営んで和歌を短冊に認めて奉納、歌道の上達を願う風が流行した。

また、津和野藩では享保13年(1728年)に社領13石を寄せ、石見産紙の祖神に位置づけて、藩内第一の神社と崇めた。

慶応元年(1865年)に真福寺を廃して社号を現在のものに改め、県社に列した。例祭は春季が4月15日、秋季が9月15日から1週間。春季例祭は人麻呂の命日である旧暦3月18日にちなむもの。

また、旧暦8月1日が人麻呂生誕の日とされることにちなみ、9月1日に八朔祭が行われ、家内安全や豊作、殖産繁栄を願う参拝者で参道一帯が溢れる。また当日は流鏑馬も行われる。

国認定の重要美術品として、享保8年から天保14年(1843年)にかけて奉納された、霊元上皇始め6代にわたる天皇の御製歌が認められた御法楽御短冊6綴がある。

同名の神社が同市の戸田町にもあり、当社が終焉地であるのに対して、戸田柿本神社は生誕地ともされ、また、人麻呂以来の旧家が宮司家となっている。

もともとこの辺一帯は、柿本家となじみ深い小野氏が治めた小野郷。

【ご利益】
歌道・学問、農業、石見産紙の祖神としての殖産の神、火防・安産
柿本神社(高津町) - 人麻呂最期の地とされる石見国・高角山、生誕由来の八朔祭が賑わう
【関連記事】
和歌三神とは? - 衣通姫・玉津島、住吉、人麻呂の三柱、赤人や、古くは道真の北野社
島根県の旧県社 | 府県社とは? - 旧県社(縣社)・旧府社、その都道府県の中で有力な神社
島根県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、島根県に鎮座している神社の一覧
柿本神社(高津町)の御朱印