「河内源氏発祥地」、石清水八幡宮からの勧請で、鶴岡八幡宮の勧請元
[住所]大阪府羽曳野市壺井605
[電話]072-956-2824
壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう、壷井八幡宮)は、大阪府羽曳野市壺井にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、「河内源氏発祥地」などとある御朱印を頂ける。
御祭神は、八幡神として誉田別尊(応神天皇)・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とし、玉織姫・武内宿禰を配祀する。八幡神の主要なバリエーションをすべて網羅しているのが特徴。
一帯は河内源氏の本拠地で、寛仁4年(1020年)に源頼信が河内国国司に任じられて以降、頼信・頼義・義家の3代にわたって当地に居住し、河内源氏と呼ばれるようになった。
康平7年(1064年)5月15日、前九年の役に戦勝して凱旋した源頼義が、現在地である河内国香呂峰の私邸の東側に社殿を造営、河内源氏の氏神である石清水八幡宮を勧請したのが当社の始り。
この時、地名を香呂峰から壺井と改め、当宮を武家源氏棟梁の河内源氏の総氏神とした。近くには河内源氏の氏寺・通法寺がある。
その後、頼義は、河内源氏の東国進出の拠点として、鎌倉にも石清水八幡宮を勧請した。いわゆる鶴岡若宮で、後の鶴岡八幡宮である。
頼義の5世孫である源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、河内源氏の総氏神は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移り、当宮は河内源氏の祖廟にして当地に土着した河内源氏である石川源氏の氏神となる。
南北朝から戦国時代にかけてたびたび兵火にかかり荒廃した。現在の社殿は、元禄14年(1701年)、五代将軍徳川綱吉の命により柳沢吉保が再建したものである。
明治時代には八幡神社と称し、近隣の、駒ヶ谷村大字通法寺の石丸神社、西浦村大字広瀬の神明神社、八幡神社などを合祀した。
その際式内の二社である駒ヶ谷村大字大黒の大祁於賀美神社、駒ヶ谷村大字飛鳥の飛鳥戸神社も合祀したが、この二社は戦後にそれぞれ独立している。
戦後、現社号に改称した。例祭は5月15日、石清水八幡宮を勧請した日としている。
秋季大祭は10月17日で、河内源氏3代を斎き祀った日とする。他に6月第1日曜日には、弓馬術礼法小笠原教場奉納行事がある。
源義家(八幡太郎義家)が愛用したとされる重要文化財の黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる)や天光丸の太刀(重要美術品)などが伝わる。
社家の高木氏は、河内源氏・八幡太郎義家の六男(五男とする見方もある)・源義時(陸奥六郎義時)の子孫である。
当宮本殿の奥には頼信・頼義・義家、義綱、義光を祀る摂社・壺井権現社(壺井神社)がある。
天仁2年(1109年)、源義家の六男義時が創建して河内源氏の崇廟としたもので、京都府京都市南区の六孫王神社、兵庫県川西市の多田神社とともに源氏三神社の一つとされる。
【ご利益】
勝運、必勝祈願、子孫繁栄(公式HP)
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壺井八幡宮(つぼいはちまんぐう、壷井八幡宮)は、大阪府羽曳野市壺井にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、「河内源氏発祥地」などとある御朱印を頂ける。
御祭神は、八幡神として誉田別尊(応神天皇)・仲哀天皇・神功皇后を主祭神とし、玉織姫・武内宿禰を配祀する。八幡神の主要なバリエーションをすべて網羅しているのが特徴。
一帯は河内源氏の本拠地で、寛仁4年(1020年)に源頼信が河内国国司に任じられて以降、頼信・頼義・義家の3代にわたって当地に居住し、河内源氏と呼ばれるようになった。
康平7年(1064年)5月15日、前九年の役に戦勝して凱旋した源頼義が、現在地である河内国香呂峰の私邸の東側に社殿を造営、河内源氏の氏神である石清水八幡宮を勧請したのが当社の始り。
この時、地名を香呂峰から壺井と改め、当宮を武家源氏棟梁の河内源氏の総氏神とした。近くには河内源氏の氏寺・通法寺がある。
その後、頼義は、河内源氏の東国進出の拠点として、鎌倉にも石清水八幡宮を勧請した。いわゆる鶴岡若宮で、後の鶴岡八幡宮である。
頼義の5世孫である源頼朝が鎌倉幕府を開いた後は、河内源氏の総氏神は壺井八幡宮から鶴岡八幡宮に移り、当宮は河内源氏の祖廟にして当地に土着した河内源氏である石川源氏の氏神となる。
南北朝から戦国時代にかけてたびたび兵火にかかり荒廃した。現在の社殿は、元禄14年(1701年)、五代将軍徳川綱吉の命により柳沢吉保が再建したものである。
明治時代には八幡神社と称し、近隣の、駒ヶ谷村大字通法寺の石丸神社、西浦村大字広瀬の神明神社、八幡神社などを合祀した。
その際式内の二社である駒ヶ谷村大字大黒の大祁於賀美神社、駒ヶ谷村大字飛鳥の飛鳥戸神社も合祀したが、この二社は戦後にそれぞれ独立している。
戦後、現社号に改称した。例祭は5月15日、石清水八幡宮を勧請した日としている。
秋季大祭は10月17日で、河内源氏3代を斎き祀った日とする。他に6月第1日曜日には、弓馬術礼法小笠原教場奉納行事がある。
源義家(八幡太郎義家)が愛用したとされる重要文化財の黒韋威胴丸(くろかわおどしどうまる)や天光丸の太刀(重要美術品)などが伝わる。
社家の高木氏は、河内源氏・八幡太郎義家の六男(五男とする見方もある)・源義時(陸奥六郎義時)の子孫である。
当宮本殿の奥には頼信・頼義・義家、義綱、義光を祀る摂社・壺井権現社(壺井神社)がある。
天仁2年(1109年)、源義家の六男義時が創建して河内源氏の崇廟としたもので、京都府京都市南区の六孫王神社、兵庫県川西市の多田神社とともに源氏三神社の一つとされる。
【ご利益】
勝運、必勝祈願、子孫繁栄(公式HP)
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