福山城北側の天神山に鎮座、近代教育の祖・阿部正弘を祀る旧阿部神社
[住所]広島県福山市丸之内1-9-2
[電話]084-922-1180

備後護国神社(びんごごこくじんじゃ)は、広島県福山市丸之内、福山城北側の天神山にある神社。近代社格では内務大臣指定護国神社、現在は神社本庁の別表神社全國護國神社會の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

阿部神社を合祀したため、御祭神は備後国出身の護国の英霊、大彦命武沼河別命(以上二柱は父子で、四道将軍)・豊幹別命(大彦命の孫)および阿部正弘をはじめとする歴代備後福山藩主である。

明治元年(1868年)、福山藩主・阿部正桓が、石見益田の役と箱館戦争での戦死者の霊を祀るために、旧深津郡吉津村に招魂社を創立したのに始まる。

明治26年(1893年)に福山公園(現在の福山城)の本丸人質櫓跡に遷座し、明治34年(1901年)に官祭福山招魂社に改称。昭和14年(1939年)に内務大臣の指定を受けて福山護國神社と改称した。

昭和15年(1940年)の皇紀2600年を機に、芦田川河畔に新たに広大な境内と運動場を有する神社として建立されることになり、第二次世界大戦(太平洋戦争)の最中も工事が続けられていたが、完成目前の昭和20年(1945年)8月8日の福山大空襲によって焼失した。

この敷地は現在、福山市体育館として使われている。

戦後の一時期は「備後神社」を名乗っていた。また福山城本丸にあった元の福山招魂社に合祀されていた。

昭和29年(1954年)に、社殿を阿部神社の本殿を改装したうえで合祀することが決定、昭和31年(1956年)に復興し、それに合わせて、福山藩主の阿部氏が建立した阿部神社は境内社として残っている。

現在の護国の英霊以外の御祭神は、このとき合祀されたもの。翌昭和32年(1957年)に現社号に改称した。当社のすぐ北には、福山八幡宮が鎮座する。

なお、阿部神社の時代には参道は南側にあったが、焼失した当社を移す際に参道石段を西側に移すとともに拝殿神門が建立された。そのため、西側から参拝するのが正式であるが、南側からも参拝することは可能である。また旧阿部神社の門も残されている。

境内には宮本武蔵が座ったとされる「腰掛石」が安置されている。寛永年間(1624年-1629年)に武蔵が福山を訪問した際、水野家二番家老である中山将監の屋敷で饗宴が催され庭園で腰を掛けたと伝わる。

例祭は春季が5月第2土曜日、秋季が10月23日。

広島県には他に、広島護国神社がある。

【ご利益】
阿部正弘は近代教育の基礎を築いた教育の神、受験合格・学業成就の神
備後護国神社 - 福山城北側の天神山に鎮座、近代教育の祖・阿部正弘を祀る旧阿部神社
【関連記事】
全國護國神社會とは - 全国護国神社会、靖国神社が紐帯、巡拝や御朱印収集巡りも人気
内務大臣指定護国神社 - 近代社格の一つ、一県一社の護国神社、全國護國神社會の前身
広島県の別表神社 | 別表神社とは? - 神社本庁に属する神社の現代版官国幣社
広島県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、広島県に鎮座している神社の一覧
備後護国神社の御朱印