平安遷都で祀られた東天王、兎が神使、子授け・安産の神
[住所]京都府京都市左京区岡崎東天王町51
[電話]075-771-1963
岡崎神社(おかざきじんじゃ)は、京都府京都市左京区岡崎東天王町にある神社。近代社格では郷社。別名は東天王。京都十六社朱印めぐりの一社で、参拝すれば、「東天王」などと大書された御朱印を頂ける。
かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから、兎が氏神様の神使とされる。公式サイトもウサギで溢れている。手水屋形に子授けの兎の彫像、本殿前には縁結びの狛うさぎ一対がある。
御祭神は、速素盞鳴尊、奇稲田姫命、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)。八柱御子神は天照大神との誓約の子と間違われやすいが、ここではむしろ、八坂神社にも祀られている主祭神の御子神と考えた方が良いだろう。
桓武天皇の延暦13年(794年)、長岡京よりの平安京遷都に際し、王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、陽のいずる都の東(卯の方位)に鎮座することから東天王と称した。
清和天皇の貞観11年(869年)、勅命により社殿を造営し、播磨国広峰(現 兵庫県姫路市北方)より祇園牛頭天王(速素盞鳴尊)などを迎え祀り、悪疫封じを祈願した(『諸社根元記』)。
『平家物語』では、東天王を官幣四十一所の一つに加えている。
治承2年(1178年)には、高倉天皇の中宮御産の幣帛を賜った。皇室の崇敬が厚く、各時代において官幣を賜り、特に後醍醐天皇は元応元年(1319年)に当社を再建、正一位の御神階と御神宝を賜る。
室町時代の享徳元年(1452年)には八代将軍足利義政により修造。
当社として、ご利益の一つを子授け・安産とし、「ご祭神二柱が三女五男八柱神ものたくさんの御子神をもうけられ子宝に恵まれた霊験あらたかな子授け安産の神」としているが、スサノヲとクシナダの二柱の間の子はヤシマジヌミノカミのみが通説で、八柱の子宝に恵まれたわけではない。
例祭は7月16日。10月16日が「氏子祭」で、氏子町へ子どもみこし10基と稚児列が繰り出す。境内に飾られる数基の剣鉾が見もの。
【ご利益】
子授け・安産、縁結び、厄除、方除(公式HP)
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岡崎神社(おかざきじんじゃ)は、京都府京都市左京区岡崎東天王町にある神社。近代社格では郷社。別名は東天王。京都十六社朱印めぐりの一社で、参拝すれば、「東天王」などと大書された御朱印を頂ける。
かつて付近一帯が野兎の生息地であったことから、兎が氏神様の神使とされる。公式サイトもウサギで溢れている。手水屋形に子授けの兎の彫像、本殿前には縁結びの狛うさぎ一対がある。
御祭神は、速素盞鳴尊、奇稲田姫命、三女五男八柱御子神(やはしらのみこがみ)。八柱御子神は天照大神との誓約の子と間違われやすいが、ここではむしろ、八坂神社にも祀られている主祭神の御子神と考えた方が良いだろう。
桓武天皇の延暦13年(794年)、長岡京よりの平安京遷都に際し、王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、陽のいずる都の東(卯の方位)に鎮座することから東天王と称した。
清和天皇の貞観11年(869年)、勅命により社殿を造営し、播磨国広峰(現 兵庫県姫路市北方)より祇園牛頭天王(速素盞鳴尊)などを迎え祀り、悪疫封じを祈願した(『諸社根元記』)。
『平家物語』では、東天王を官幣四十一所の一つに加えている。
治承2年(1178年)には、高倉天皇の中宮御産の幣帛を賜った。皇室の崇敬が厚く、各時代において官幣を賜り、特に後醍醐天皇は元応元年(1319年)に当社を再建、正一位の御神階と御神宝を賜る。
室町時代の享徳元年(1452年)には八代将軍足利義政により修造。
当社として、ご利益の一つを子授け・安産とし、「ご祭神二柱が三女五男八柱神ものたくさんの御子神をもうけられ子宝に恵まれた霊験あらたかな子授け安産の神」としているが、スサノヲとクシナダの二柱の間の子はヤシマジヌミノカミのみが通説で、八柱の子宝に恵まれたわけではない。
例祭は7月16日。10月16日が「氏子祭」で、氏子町へ子どもみこし10基と稚児列が繰り出す。境内に飾られる数基の剣鉾が見もの。
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子授け・安産、縁結び、厄除、方除(公式HP)
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