三十三間堂と並ぶ後白河院の鎮守社、京の熊野古道がある「能楽発祥の地」
[住所]京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町42
[電話]075-561-4892

新熊野神社(いまくまのじんじゃ)は、京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町にある神社。近代社格では村社。伊弉冉尊(伊邪那岐命とも)を主祭神とする。

京都十六社朱印めぐり京都三熊野の一社で、参拝すれば、左京区の熊野神社と同様、熊野三山の象徴ともなっている八咫烏の印が入った御朱印を頂ける。

熊野信仰が盛んであった平安後期の永暦元年(1160年)、後白河法皇が紀州の熊野の神をこの地にあった仙洞御所法住寺殿に勧請して、当社を創建した。

同じ京都三熊野の一社、熊野若王子神社と同様の縁起だが、法住寺殿は後白河法皇が院政を敷いた場所であり、その鎮守寺が三十三間堂であり、鎮守社が当社ということになる。

上皇の命を受けた平清盛は、熊野の土砂や材木を用いて、社域や社殿を築き、那智の浜の青白の小石を敷いて、霊地熊野を再現したとされる。やはり同じ京都三熊野で、先の左京区の熊野神社と似た由緒となっている。

歴代天皇の崇敬が厚く、社域は広壮、社殿は荘厳を極めたが、応仁の乱で荒廃し、復興は江戸初期、後水尾天皇の中宮東福門院(三代将軍徳川家光の妹)によるまで待たなければならなかった。

現本殿は寛文13年(1673年)に聖護院の道寛親王より再建されたもの。同時期に、やはり左京区の熊野神社も再興されている。

境内の樟の木は、熊野から移植した後白河上皇お手植えの御神木と言われ、現在も「樟大権現」「樟龍弁財天」として、健康長寿、特に腹を守護する神、また、安産の守り神として信仰されている。

本殿の左右には御神木の椥(なぎ)で、梛とも書く。当社は古来より「梛の宮」とも呼ばれ、当社周辺は今熊野椥ノ森町というのはこの御神木が由来。

足利義満が初めて観阿弥・世阿弥父子の能を見た場所としても知られ、当社では「能楽発祥の地」としている。

境内では、熊野十二所権現を再現、「京の熊野古道」を整備しており、熊野曼荼羅、熊野稲葉根王子と荼枳尼天、発心門王子と梵天、滝尻王子と帝釈天、八咫烏などが祀られている。

例祭は5月5日。総勢300人の行列が神輿などを交えて、氏子中を練り歩く。中秋の名月には大樟祭が執り行われ、後白河法皇を偲ぶ祭事が行われる。

【ご利益】
健康長寿、腹の守護、安産、リフレッシュ
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