古井が有名な“武州八幡社の総社”、『万葉集』に記載される大田区の古社
[住所]東京都大田区大森北2-20-8
[電話]03-3761-2931
磐井神社(いわいじんじゃ)は、東京都大田区大森北にある神社。東海七福神の弁財天(笠島弁天社)で、参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 荏原郡「磐井神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
御祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、姫大神、大己貴命。当社では姫大神を応神天皇の皇后である仲津姫大神としている。
第30代敏達天皇2年8月の創祀と伝わる。『万葉集』にある下記の歌は、当社(笠島弁天)を指したものという説もある。
それから永正年間(1504年-1520年)までは極めて繁栄したと伝わるが、その後兵火に遭い、本社と末社ともども灰燼に帰す。
その後再建されるが、本格的な再興は天文年間(1661年-1672年)まで待たなければならなかったという。
天正18年(1597年)、徳川家康が入府する際、寺社奉行本多紀伊守に命じて、当社を祈願所に申し付けたという。別当は密厳院。
享保10年(1725年)、八代将軍徳川吉宗は、伊那半左衛門に命じて本社・拝殿・末社ともども建立させたという。『江戸名所図絵』などには鈴森八幡宮の名で記録されている。
昭和20年(1945年)5月、戦火に遭い、社殿などを焼失。昭和29年(1954年)9月に再建され、今日に至っている。
「磐井」と呼ばれる古井があり、当社社名の由来となった。往古は、東海道往来の旅人に利用され、霊水または薬水と称されて有名だった。
もともと境内にあったが、国道の拡幅により、境域がせばめられたため、現在は社前歩道上に遺存されている。
土地の人々は、この井戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪ならば塩水、という伝説を昔から伝えている。
鈴石(すずいし)と烏石(からすいし)でも知られている。鈴石は神功皇后が長門の国の浦の浜でこの石を発見し、紆余曲折を経てこの社に納められたものと伝わる。
烏石は山の形をした自然石の上部に、墨で書いたような烏の形をした模様がある。
いずれも江戸期に有名になったもので、鈴石は転がすと鈴の音がすると評判になり、鈴が森の地名の由来になったとも。
また、烏石はもとは鷹石と呼ばれて麻布にあったが、松下烏石という人が移し、宣伝。文人に好まれて鑑賞のために訪れる者が増えたという。
鈴ヶ森とも呼ばれ、江戸廿一森(社名や通称に「森」の付く江戸を代表する神社)の一社に数えられる場合がある。
境内にはその他、松下烏石が烏石を奉納した由来を刻んだ烏石碑や、 文人たちが使用済みの筆を埋めた供養塚(いずれも大田区の文化財)、樹齢は分からないが幹回りが数メートルはあると思われる イチョウの古木などがある。
例祭は8月第1金・土・日。軽妙なリズムに合わせたステップで担ぐ神輿が人気。
【ご利益】
愛嬌、厄祓い、所願成就、病気平癒、安産・子育てなど

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[電話]03-3761-2931
磐井神社(いわいじんじゃ)は、東京都大田区大森北にある神社。東海七福神の弁財天(笠島弁天社)で、参拝すれば、御朱印を頂ける。
『延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 荏原郡「磐井神社」に比定される式内社(小社)。近代社格では郷社。
御祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、姫大神、大己貴命。当社では姫大神を応神天皇の皇后である仲津姫大神としている。
第30代敏達天皇2年8月の創祀と伝わる。『万葉集』にある下記の歌は、当社(笠島弁天)を指したものという説もある。
草陰の荒蘭の崎の笠島を見つつか君が山路越ゆらむ『三代実録』によれば、貞観元年(859)「武蔵国従五位磐井神社官社に列す」とあり、当社を武州の八幡社の総社に定めた、とされる。
それから永正年間(1504年-1520年)までは極めて繁栄したと伝わるが、その後兵火に遭い、本社と末社ともども灰燼に帰す。
その後再建されるが、本格的な再興は天文年間(1661年-1672年)まで待たなければならなかったという。
天正18年(1597年)、徳川家康が入府する際、寺社奉行本多紀伊守に命じて、当社を祈願所に申し付けたという。別当は密厳院。
享保10年(1725年)、八代将軍徳川吉宗は、伊那半左衛門に命じて本社・拝殿・末社ともども建立させたという。『江戸名所図絵』などには鈴森八幡宮の名で記録されている。
昭和20年(1945年)5月、戦火に遭い、社殿などを焼失。昭和29年(1954年)9月に再建され、今日に至っている。
「磐井」と呼ばれる古井があり、当社社名の由来となった。往古は、東海道往来の旅人に利用され、霊水または薬水と称されて有名だった。
もともと境内にあったが、国道の拡幅により、境域がせばめられたため、現在は社前歩道上に遺存されている。
土地の人々は、この井戸水を飲むと、心正しければ清水、心邪ならば塩水、という伝説を昔から伝えている。
鈴石(すずいし)と烏石(からすいし)でも知られている。鈴石は神功皇后が長門の国の浦の浜でこの石を発見し、紆余曲折を経てこの社に納められたものと伝わる。
烏石は山の形をした自然石の上部に、墨で書いたような烏の形をした模様がある。
いずれも江戸期に有名になったもので、鈴石は転がすと鈴の音がすると評判になり、鈴が森の地名の由来になったとも。
また、烏石はもとは鷹石と呼ばれて麻布にあったが、松下烏石という人が移し、宣伝。文人に好まれて鑑賞のために訪れる者が増えたという。
鈴ヶ森とも呼ばれ、江戸廿一森(社名や通称に「森」の付く江戸を代表する神社)の一社に数えられる場合がある。
境内にはその他、松下烏石が烏石を奉納した由来を刻んだ烏石碑や、 文人たちが使用済みの筆を埋めた供養塚(いずれも大田区の文化財)、樹齢は分からないが幹回りが数メートルはあると思われる イチョウの古木などがある。
例祭は8月第1金・土・日。軽妙なリズムに合わせたステップで担ぐ神輿が人気。
【ご利益】
愛嬌、厄祓い、所願成就、病気平癒、安産・子育てなど

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