上野の稲荷町起源の古社、例祭の神輿渡御は大観衆の中での乱闘騒ぎで有名
[住所]東京都台東区東上野3-29-8
[電話]03-3831-1488

下谷神社(したやじんじゃ)は、東京都台東区東上野にある神社。近代社格では郷社。御祭神は大年神日本武尊下町八福神の一社で、参拝すれば、御朱印を頂ける。

第45代聖武天皇の御代、天平2年(730年)に峡田の稲置らが、大年神・日本武尊の御神徳を慕って上野忍ヶ岡の地に二柱を創祀。伏見稲荷大社からの勧請という伝承もある。

天慶2年(939年)、平将門による天慶の乱追討祈願のため、藤原秀郷が社殿を新造したという。平将門ゆかり。古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社、正一位下谷稲荷社と呼ばれていた。

寛永年間、境内が寛永寺山内となるにあたり、寛永4年(1627年)に別当正法院と共に下谷屏風坂下に移転した。

しかし、126坪あまりと手狭だったため、延宝8年(1680年)に下谷広徳寺前にあった谷中天眼寺先住少林庵抱地525坪余と土地を交換。

元禄16年(1703年)には旧地も正法院抱地になった。

明治元年(1868年)、神仏分離令により正法院を分離した。翌年周囲の町名が当社にちなみ下谷稲荷町となる。現在も東京メトロ銀座線に稲荷町駅という駅名が残る。『江戸名所図会』にも記載がある。

明治5年(1872年)に現社号へ改称、翌年には下谷地域の郷社と定められた。関東大震災で社殿を焼失、昭和3年(1928年)には現在地に移転。

昭和9年(1934年)に現在の社殿が完成した。東京大空襲では被害を受けなかった。

社殿の天井画の「龍」は横山大観の作で、この「龍」をあしらったと思われる双竜デザインのオリジナル御朱印帳がある。

また、寛政10年(1798年)に初代三笑亭可楽によって当社境内で初めて寄席が開かれたため、現在境内に「寄席発祥の地」の石碑がある。

境内末社として隆栄稲荷社がある。

例祭は5月11日前後の金・土・日曜日で、土日は本社神輿が近隣町内を渡御する。台輪幅4尺1寸の千貫神輿といわれる巨大さ。

それにも増して、大観衆が見守る中での乱闘騒ぎかそれに近い状態での渡御が、一種の名物となっている。

なお、当社は平成23年(2011年)3月11日に発生した東北地方太平洋地震(東日本大震災)の大津波により被災した御刀神社の復興に協力した。

【ご利益】
円満融和、武運長久、五穀豊穣・商売繁盛
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