創祀1000年の東京日本橋の古社、強運厄除・東京銭洗い弁天、みみずくが有名
[住所]東京都中央区日本橋小網町16-23
[電話]03-3668-1080

小綱神社(こあみじんじゃ)は、東京都中央区日本橋小網町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

江戸名所図会』にも記載があり、近代社格では村社。日本橋七福神の福禄寿・弁財天であり、下町八福神の一社。

強運厄除、東京銭洗い弁天がキャッチフレーズ。御祭神は倉稲魂命(お稲荷大神)、市杵島比売命(弁財天)、福禄寿他。

武蔵国豊島郡入江のあたりに万福庵という観世音と弁財天とを安置する庵があった。この庵は恵心僧都の開基で、観世音と弁財天も僧都の作と伝えられている。

開基の年代は不詳だが、恵心僧都は天慶5年(942年)に生まれ、寛仁元年(1017年)に示寂しているため、創祀は1000年を超えるか。

文正元年(1466年)、庵の周辺で悪疫が流行し、人々が困り果てていると、網師の翁が海上で網にかかった稲穂を持って庵を訪れ、数日間をこの庵で過ごした。

ある夜、庵の開基・恵心僧都が当時の庵主の夢枕に立ち、網師の翁を稲荷大神と崇めれば、村の悪疫は消滅すると告げた。

夜が明け、網師翁の姿は庵にはなかったが、庵主は恵心僧都の託宣を村人たちに告げ、翁を小網稲荷大明神と称え、神社を創建して日夜祈願を続けた。

そうすると間もなく、村の悪疫は鎮まり、村人たちは歓喜したと伝わる。

太田道灌も、この御神徳を聞き、折に触れて、当社を参拝したという。土地を寄進し、小網山稲荷院万福寿寺と名付けたと伝わる。

慶長年間(1596年-1615年)には、これらにちなみ周辺地域が小網町と名付けられ、当社は氏神として崇敬された。

明治維新後の神仏分離令によって社寺は分離、小網稲荷神社として明治6年(1873年)7月5日、村社に列格された。

現社殿・神楽殿は、大正期の明治神宮造営の工匠長・内藤駒三郎宮大工一門により、昭和4年(1929年)に造営されたもの。

その後の戦禍を免れ、現在は日本橋地区に残されている唯一の木造檜造りの神社建築となっており、区の文化財に指定されている。

特に、向拝に施された「昇り龍」と「降り龍」の彫刻は見事で、「強運厄除の龍」として拝されている。戦後現社号に改称。

5月28日が例祭。5年に一度、宮神輿の渡御がある。11月28日のどぶろく祭りは奇祭として有名で、国指定無形文化財の里神楽舞が神前で奉納され、強運厄除のみみずくも正月まで授与される。

【ご利益】
強運厄除、財運、福徳円満(公式HP
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