藤原俊成が『千載和歌集』を編纂した地に歌姫・衣通郎姫を勧請、文芸の神
新玉津神社(京都府京都市下京区烏丸通松原西入ル玉津島町309)
[住所]京都府京都市下京区烏丸通松原西入ル玉津島町309
[電話]075-351-7021

新玉津神社(にいたまつしまじんじゃ)は、京都府京都市下京区にある神社。御朱印の有無は不明。

文治年(1186年)、後鳥羽天皇の勅命により、藤原定家の父で、平安末期から鎌倉初期の歌人として名高い、藤原俊成が五條大路(現 松原通)烏丸から室町にかけての自分の邸宅地に、和歌山県和歌浦の玉津島神社に祀られている歌道の神で和歌三神の一柱「衣通郎姫」を勧請したのが創祀。

それに先立つ寿永2年(1183年)、後白河法皇の院宣により、俊成はこの邸宅を和歌所として、『千載和歌集』を編纂し始めた。ちょうどその年、木曽義仲が京に攻め入り、平家一門は都落ちする。

しかし門下の一人である平忠度は、危険を顧みずに俊成邸に戻り、「一首なりとも、(『千載和歌集』に)選んでほしい」と自分の秀歌の巻物を献じた。
さざなみや 志賀の都は あれにしを むかしながらの 山ざくらかな
読み人知らずとなってはいるが、平忠度の上記の歌が『千載和歌集』に乗せられている。

江戸時代には、『源氏物語湖月抄』などの古典注釈の第一人者で、松尾芭蕉の師である北村季吟が約7年間、当社の宮司として住み、万葉集の注釈書である『万葉拾穂抄』の編纂に励んだ。

これらの由縁から、今も多くの人が短歌、俳句、文章の上達祈願に訪れている。

境内には多くの歌碑などがあるほか、末社として、天満宮と秋兼神社がある。このうち、天満宮の御祭神は当然菅原道真で、玉津天神として、北野天満宮所蔵『日記』(1823年)にある「洛陽二十五社順拝」の一社に名を連ねる。いわゆる洛陽天満宮二十五社順拝の一つ。

【ご利益】
短歌・俳句・文章の上達、文芸全般
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