最古の天神の可能性、道真ゆかり神人の御供所の第一
[住所]京都府京都市上京区天神通上ノ下立売上ル北町
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安楽寺天満宮(あんらくじてんまんぐう)は、京都府京都市上京区にある神社。御祭神は菅原道真。境内には「天満宮旧蹟」「安楽寺旧跡」「天満宮御自作神像」などの碑が建ち、元の一之保社跡地に創建された。御朱印の有無は不明。鳥居脇に立つクスノキの巨木がある。

道真が昌泰4年(901年)、大宰府へ権帥として左遷され、その地で亡くなった後、道真とともに太宰府に赴いた人々が帰京した。延喜4年(905年)、これらの同行した人々により、「右京一条二坊一保八町」の現在地に、道真自作の木像を祀り、神仏習合の安楽寺天満宮を建立した。

天神信仰発祥の地とされる文子天満宮(下京区天神町)と同時期か、先行する可能性がある。

なお、安楽寺天満宮は太宰府天満宮の旧称でもあり、今でも安楽寺天満宮と言えば、通常は太宰府天満宮を指す場合も多い。

後に、同じような道真ゆかりの人々やその後裔が順次天満宮を創祀、これらが北野天満宮の七カ所の御供所(北野御供所七保社)となり、当社はその第一、一ノ保社(一之保社)と呼ばれるようになった。

御供所は、右京一条から三条界隈、現在の天神通界隈に、一から七まで、七つの地域があり、それぞれに天満宮が鎮座していたものを指す。

・二之保社は上ノ下立売天神道西入堀河町、紙屋川東岸とも。不詳
・三之保社は二条通紙屋川東岸の長宝寺(廃寺)
・四之保社は跡として威徳水
・五之保社は玉房稲荷神社の境内にある五ノ保天満宮、あるいは満願寺(移転)
・六之保社は華開院の辻向に「元阿弥陀寺跡」とある旧阿弥陀寺(廃寺)
・七之保社は成願寺(現存)

各地には天満宮に奉仕する北野神人が居住し、御供のための神饌を調理した。また、神人には鎌倉幕府から特権的な地位が認められ、免税とともに、麹を独占して造ることができる「麹座」を形成することも許されていた。

一之保社の神人は特に西京神人と称し、現在も当社の保護を含む諸々の活動主体として、「西京神人末裔七保会」がある。

明治維新を経て、神仏分離令後の廃仏毀釈により、神宮寺の安楽寺は廃寺となり、明治6年(1873年)に社殿なども北野天満宮内に遷座され、現在地には一ノ保社(時鳥天神)が祀られた。

その後、再び現在の旧跡地にも社殿が再建された。

当社は、近世には安楽寺天神などと呼ばれ、北野天満宮所蔵『日記』(1823年)に記載された「洛陽二十五社順拝」の一つに含まれている。

いわゆる洛陽天満宮二十五社順拝の一社と思われる。

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安楽寺天満宮(京都市上京区) - 最古の天神の可能性、道真ゆかり神人の御供所の第一
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