全国の秋葉系寺社の起源、12月に「秋葉の火まつり」、火防の神
[住所]静岡県浜松市天竜区春野町領家841
[電話]0539-85-0111
秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区春野町にある神社。全国の秋葉神社・秋葉寺などの総本山かつ起源。
秋葉山山頂の上社と、麓の気田川の畔にある下社がある。上社「秋葉神社」、下社「火防本宮」の御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳もある。
『日本三代実録』貞観16年(874年)に記載される「岐気保神」ではないかともされる。であれば、式外社であり、国史見在社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。
御祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。秋葉山に鎮まる神で「秋葉大神」(あきはのおおかみ)とも称される。
社伝では和銅2年(709年)に初めて社殿が建立された。山が鳴動し火が燃え上がったため、元明天皇より「あなたふと 秋葉の山にまし坐せる この日の本の 火防ぎの神」と御製を賜ったという。
社殿建立時に人手が不足し、藁で人形を作り祈ったところ、人形に魂が宿り一緒になって働いたため予定より早く完成したという伝承がある。
感謝して川に流したところ浪の音で風雨の災害を知らせてくれるようになったとも。浪小僧の伝説として知られる。
平安時代初期、現在の長野県長野市にあたる信濃国戸隠の出身で、新潟県長岡市にあたる越後国栃尾の蔵王権現(飯綱山信仰に由来する)などで修行した三尺坊(さんしゃくぼう)という修験者が秋葉山に至り、これを本山としたと伝えられる。
戦国時代までは真言宗との関係が深かったが、徳川家康と関係のあった可睡斎の禅僧茂林光幡が戦乱で荒廃していた秋葉寺を曹洞宗の別当寺とし、以降徳川幕府による寺領の寄進など厚い庇護の下に、次第に発展を遂げた。
秋葉山には禰宜・僧侶(曹洞宗)・修験(当山派)の三者が奉仕し、別当は僧侶が務めた。
この頃山頂には本社と観音堂を中心に本坊・多宝塔など多くの建物が建ち並び、修験も十七坊(時代によって増減あり、三十六坊の時期もある)あったと伝えられる。
5代将軍徳川綱吉の治世の頃から、秋葉大権現は神道、仏教および修験道が混淆した「火防の神」として日本全国で爆発的な信仰を集めるようになり、広く秋葉大権現という名が定着した。
特に度重なる大火に見舞われた江戸には数多くの秋葉講が結成され、大勢の参詣者があり、その賑わいはお伊勢参りにも匹敵するものとも言われた。
明治元年(1868年)に神仏分離令が、明治5年(1872年)に修験宗廃止令が強行され、秋葉山も神仏分離が行われた。
秋葉山を神道の秋葉大権現と仏教の秋葉寺に分離し、更に秋葉大権現を秋葉神社に改称した。明治6年(1873年)、県社に列した。
第二次世界大戦中の昭和18年(1943年)、山頂の上社が山麓から発生した山火事の類焼により、本殿東側の山門を除く建物全てを焼失した。
戦中戦後は再建も容易ではなく、山麓に下社を造営し祭祀を継続した。
しかし、昭和61年(1986年)に現在の山上の社殿が再建され、相前後して山頂に通じる林道の整備も行われたために、完全に再興を果たした。
現社号は、社格制度がなくなる中、全国の秋葉神社の本宮であることを示すため。
山頂の上社と、麓の気田川の畔にある下社とは、徒歩で登り1時間半から2時間、標高差約750メートルほどの古くからの参道が通じる。
また山頂に至る車道は西側の麓を走る天竜川沿いの国道152号線から車で20分ほど登る、やや狭いが舗装された林道となっている。
山頂からの眺望は東海一とも言われ、天気が良ければ袋井市のエコパやJR浜松駅近くのアクトタワー、更に空気が澄んでいれば天竜川河口・太平洋や浜名湖なども望める観光スポットとしても人気が高い。
「太刀 安縄」「太刀 来国光」「太刀 弘次」などの社宝が国の重要文化財に指定されている。
例祭は12月。「秋葉の火まつり」と呼ばれる。毎年12月15日午後2時半から御阿禮祭、翌16日午後1時半から例大祭、午後10時から火まつり。弓の舞・剣の舞・火の舞などが舞われる。
末社に、内宮社(天照大神)、外宮社(豊受大神)、祓戸社、水神社、天神社、小國社、安座石社、風神社、山姥社、白山社、山神社がある。
掛川市鳥居町に安藤広重『東海道五十三次』に描かれた一の鳥居があった掛川遙斎所は現在、末社として信仰されている。
なお、当社は日本プロサッカーリーグであるJリーグのジュビロ磐田が必勝祈願を行う神社である。
【ご利益】
諸厄諸病を祓い除く火防開運の神、家内安全・商売繁盛など(公式HP)
【関連記事】
・Jリーグ必勝祈願の社 - 各チームがシーズン前に必勝祈願を行う・行っていた神社の一覧
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秋葉山本宮秋葉神社(あきはさんほんぐうあきはじんじゃ)は、静岡県浜松市天竜区春野町にある神社。全国の秋葉神社・秋葉寺などの総本山かつ起源。
秋葉山山頂の上社と、麓の気田川の畔にある下社がある。上社「秋葉神社」、下社「火防本宮」の御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳もある。
『日本三代実録』貞観16年(874年)に記載される「岐気保神」ではないかともされる。であれば、式外社であり、国史見在社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。
御祭神は火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)。秋葉山に鎮まる神で「秋葉大神」(あきはのおおかみ)とも称される。
社伝では和銅2年(709年)に初めて社殿が建立された。山が鳴動し火が燃え上がったため、元明天皇より「あなたふと 秋葉の山にまし坐せる この日の本の 火防ぎの神」と御製を賜ったという。
社殿建立時に人手が不足し、藁で人形を作り祈ったところ、人形に魂が宿り一緒になって働いたため予定より早く完成したという伝承がある。
感謝して川に流したところ浪の音で風雨の災害を知らせてくれるようになったとも。浪小僧の伝説として知られる。
平安時代初期、現在の長野県長野市にあたる信濃国戸隠の出身で、新潟県長岡市にあたる越後国栃尾の蔵王権現(飯綱山信仰に由来する)などで修行した三尺坊(さんしゃくぼう)という修験者が秋葉山に至り、これを本山としたと伝えられる。
戦国時代までは真言宗との関係が深かったが、徳川家康と関係のあった可睡斎の禅僧茂林光幡が戦乱で荒廃していた秋葉寺を曹洞宗の別当寺とし、以降徳川幕府による寺領の寄進など厚い庇護の下に、次第に発展を遂げた。
秋葉山には禰宜・僧侶(曹洞宗)・修験(当山派)の三者が奉仕し、別当は僧侶が務めた。
この頃山頂には本社と観音堂を中心に本坊・多宝塔など多くの建物が建ち並び、修験も十七坊(時代によって増減あり、三十六坊の時期もある)あったと伝えられる。
5代将軍徳川綱吉の治世の頃から、秋葉大権現は神道、仏教および修験道が混淆した「火防の神」として日本全国で爆発的な信仰を集めるようになり、広く秋葉大権現という名が定着した。
特に度重なる大火に見舞われた江戸には数多くの秋葉講が結成され、大勢の参詣者があり、その賑わいはお伊勢参りにも匹敵するものとも言われた。
明治元年(1868年)に神仏分離令が、明治5年(1872年)に修験宗廃止令が強行され、秋葉山も神仏分離が行われた。
秋葉山を神道の秋葉大権現と仏教の秋葉寺に分離し、更に秋葉大権現を秋葉神社に改称した。明治6年(1873年)、県社に列した。
第二次世界大戦中の昭和18年(1943年)、山頂の上社が山麓から発生した山火事の類焼により、本殿東側の山門を除く建物全てを焼失した。
戦中戦後は再建も容易ではなく、山麓に下社を造営し祭祀を継続した。
しかし、昭和61年(1986年)に現在の山上の社殿が再建され、相前後して山頂に通じる林道の整備も行われたために、完全に再興を果たした。
現社号は、社格制度がなくなる中、全国の秋葉神社の本宮であることを示すため。
山頂の上社と、麓の気田川の畔にある下社とは、徒歩で登り1時間半から2時間、標高差約750メートルほどの古くからの参道が通じる。
また山頂に至る車道は西側の麓を走る天竜川沿いの国道152号線から車で20分ほど登る、やや狭いが舗装された林道となっている。
山頂からの眺望は東海一とも言われ、天気が良ければ袋井市のエコパやJR浜松駅近くのアクトタワー、更に空気が澄んでいれば天竜川河口・太平洋や浜名湖なども望める観光スポットとしても人気が高い。
「太刀 安縄」「太刀 来国光」「太刀 弘次」などの社宝が国の重要文化財に指定されている。
例祭は12月。「秋葉の火まつり」と呼ばれる。毎年12月15日午後2時半から御阿禮祭、翌16日午後1時半から例大祭、午後10時から火まつり。弓の舞・剣の舞・火の舞などが舞われる。
末社に、内宮社(天照大神)、外宮社(豊受大神)、祓戸社、水神社、天神社、小國社、安座石社、風神社、山姥社、白山社、山神社がある。
掛川市鳥居町に安藤広重『東海道五十三次』に描かれた一の鳥居があった掛川遙斎所は現在、末社として信仰されている。
なお、当社は日本プロサッカーリーグであるJリーグのジュビロ磐田が必勝祈願を行う神社である。
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