明治期の政策に左右された神社創建、武田信玄を武田大神として祀る勝運の神
[住所]山梨県甲府市古府中町2611
[電話]055-252-2609

武田神社(たけだじんじゃ)は、山梨県甲府市古府中町にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社躑躅ヶ崎館の跡地(武田氏館跡)に建てられており、武田信玄(武田晴信)を御祭神とする。武田大神とも。参拝すれば、御朱印を頂ける。信玄をモチーフとしたオリジナルの御朱印帳がある。

明治5年(1872年)6月、明治新政府は地租改正に際して武田時代の遺制とされる大小切税法の廃止を断行、これに対して峡東地域の諸村が蜂起し、大小切騒動が発生する。

騒動について、山梨県庁は山梨県民の信玄への追慕を障害と認識。しかし、民権運動の高まりとともに、明治政府は地域の偉人を崇拝する感情を尊重する方針に転換していく。

山梨県では明治13年(1880年)6月には明治天皇の東山道巡幸が行われ、同年6月17日から6月22日にかけて山梨県巡幸が行われ、巡幸御用掛から信玄ゆかりの社寺の調査・保存のために保存金が下賜された。

民権運動家が中心となり霊社建設の機運が高まり、古城地の公園化と「機山公霊社」建設運動が起こる。しかし躑躅ヶ崎館は県立躑躅ヶ崎公園となり、霊社建設は一時棚上げ。

明治32年(1899年)には信玄祭祀神社の建設運動が再燃した。同年6月20日、甲府市太田町の望仙閣で武田神社建設協議会が開催、県内外の政財界有志により「武田会」が結成され、神社創建に動き出した。

明治37年(1904年)の日露戦争後には神社に武神・軍神を祀ることが奨励され、信玄祭祀の神社創建に一層拍車がかかった。大正4年(1915年)、大正天皇の即位記念に信玄に従三位が追贈されたのを機に、翌大正5年、山梨県知事を総裁とする「武田神社奉建会」が設立される。

大正8年(1919年)には社殿が竣工し、信玄の命日にあたる4月12日に初の例祭が行われた。別格官幣社への昇格運動は上杉謙信を祀った上杉神社が指定されていたことへの対抗意識があったという。信玄には尊皇の事跡が見られなかったことから、この件は見送られたようだ。

4月12日に行われていた例大祭には神輿の後に地元相川住民による武田二十四将を模した騎馬行列が行われており、昭和22年(1947年)からは甲府市と市商工会議所、観光協会の共同開催で桜祭りが開催され、最終日を例祭に合わせていた。

戦後には観光業振興により信玄が歴史的観光資源として着目され、昭和41年(1966年)からは甲府信玄祭りが4月12日前の土日に開催されており、地域住民による例祭と共存している。

三条家に伝来した太刀である「太刀 銘一(吉岡一文字)」が国の重要文化財に指定されている。

似た社号を持つ神社として、武田信玄ともゆかりが深い武田八幡宮がある。また、当社地近くには、武田氏の氏神として崇敬された古八幡神社がある。

なお、当社は日本プロサッカーリーグであるJリーグのヴァンフォーレ甲府が必勝祈願を行う神社である。

【ご利益】
勝運、人生そのものに勝つ、自分自身に勝つ、産業・経済の神(武田神社 - 公式HP公式HP)
武田神社 - 明治期の政策に左右された神社創建、武田信玄を武田大神として祀る勝運の神
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武田神社の御朱印