御祭神は「その才、まさに神のよう」な平安末期の学者・清原頼業、芸能神社
[住所]京都府京都市右京区嵯峨朝日町23
[電話]075-861-0039

車折神社(くるまざきじんじゃ)は、京都府京都市右京区嵯峨朝日町にある神社。近代社格では村社、現在は神社本庁に属さない単立神社。御祭神は平安時代末期の貴族・儒学者である清原頼業。参拝すれば、御朱印を頂ける。

清原頼業(きよはらの よりなり)は保安3年(1122年)生まれ。学問で有名な清原氏の出であり、自身も名を馳せた。大外記の職を長年務め、晩年には九条兼実より政治の諮問を受け、兼実から「その才、神といふべく尊ぶべし」と評された。

頼業が文治5年(1189年)に亡くなると、清原家の領地であった現在の鎮座地に廟が設けられた。後に、頼業の法名にちなんだ「宝寿院」という寺が建立され、やがて天龍寺の末寺となった。

社名の「車折」については、ある人が牛車に乗ったまま社前を通った所、突然車が裂けてしまったためとも、後嵯峨天皇の大堰川遊幸の際、社前で突然車が前に進まなくなったので、不思議に思って社の者に問うた所、頼業公を祀っているという答えがあったので、還御後に「車折大明神」の神号と正一位の神階を贈ったためともいう。

例祭は5月14日で、その延長神事として5月第3日曜日に「三船祭」が行われる。昭和天皇即位を記念して昭和3年(1928年)より催行されているもので、嵐山の大堰川にて平安時代の船遊びが再現される。

頼業の筆によると伝えられる「三略」が重要美術品に認定されている。また、画家・富岡鉄斎が一時当社の宮司を務めていた関係から、鉄斎の作品が多数伝わっており、「車軒文庫」として管理されている。社名標や本殿の扁額は鉄斎の筆によるもの。

境内社には、国主神社、弁天神社、芸能神社があり、芸能神社(げいのうじんじゃ)は昭和32年(1957年)に他の末社から天宇受売命を分祀、今では芸能・芸術の分野で活動する人々より崇敬を受けており、朱塗りの玉垣が2000枚以上奉納されている。

【ご利益】
金運・商売繁盛・良縁・厄除けなど(公式HP
車折神社 - 御祭神は「その才、まさに神のよう」な平安末期の学者・清原頼業、芸能神社
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車折神社の御朱印