長崎天神、長崎三社の一社、本殿の外囲いの瑞垣の職人尽やクスノキの大樹
[住所]長崎県長崎市上西山町4-3
[電話]095-822-7079
松森天満宮(まつのもりてんまんぐう)は、長崎県長崎市上西山町にある神社。御祭神は、菅原道真公・天穂日命・菅原是善命で、長崎天神とも。諏訪神社、伊勢宮神社とともに長崎三社の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
寛永2年(1625年)、今博多町の中島川のほとりに創建。明暦2年(1656年)、現在地の西山(圓山・元諏訪社跡)に移転した。延宝8年(1680年)、社殿を整備、正門は中国人魏之琰による寄進。
正徳3年(1713年)、大改修が行われる。本殿の外囲いの瑞垣の欄干間にはめ込まれた30枚の板には、県の有形文化財に指定されている職人尽が薄肉浮彫りされているが、この時のもの。
職人尽の彫刻者は御用指物師喜兵衛、同藤右衛門。下絵を描いた画家は不詳だが、当時の長崎奉行御用絵師の小原慶山ではないかと言われている。天保3年(1832年)には、唐絵目利の石崎融思によって彩色を施された。
明治2年(1869年)にも大改修が行われた。
境内社には、大学稲荷社、五方殿、塞三柱神社(下西山神社)、今博多町天満宮・新大工町天満宮、米津稲荷大明神、猿田彦神社、水神社、菅原信清命社がある。
境内にはクスノキの巨樹群があり、最大のものは、胸高幹囲7.80メートル、樹高30メートル、南北30メートルの枝張りは、球状樹形をつくり、盛り上がった根張りは雄大。樹齢は300年超。「松森神社のクスノキ群」として県の天然記念物に指定されている。
明治40年(1907年)3月、陸軍大臣寺内正毅より、戦利兵器として大砲の弾が奉納され、境内に掲示されている。
なお、長崎三社に中川八幡神社、水神神社を含めると長崎五社となる。
【ご利益】
学問の神(公式HP)
【関連記事】
・長崎三社と長崎五社 - 諏訪神社、伊勢宮、松森天満宮の三社と、中川八幡、水神神社の二社
・長崎県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、長崎県に鎮座している神社の一覧
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松森天満宮(まつのもりてんまんぐう)は、長崎県長崎市上西山町にある神社。御祭神は、菅原道真公・天穂日命・菅原是善命で、長崎天神とも。諏訪神社、伊勢宮神社とともに長崎三社の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
寛永2年(1625年)、今博多町の中島川のほとりに創建。明暦2年(1656年)、現在地の西山(圓山・元諏訪社跡)に移転した。延宝8年(1680年)、社殿を整備、正門は中国人魏之琰による寄進。
正徳3年(1713年)、大改修が行われる。本殿の外囲いの瑞垣の欄干間にはめ込まれた30枚の板には、県の有形文化財に指定されている職人尽が薄肉浮彫りされているが、この時のもの。
職人尽の彫刻者は御用指物師喜兵衛、同藤右衛門。下絵を描いた画家は不詳だが、当時の長崎奉行御用絵師の小原慶山ではないかと言われている。天保3年(1832年)には、唐絵目利の石崎融思によって彩色を施された。
明治2年(1869年)にも大改修が行われた。
境内社には、大学稲荷社、五方殿、塞三柱神社(下西山神社)、今博多町天満宮・新大工町天満宮、米津稲荷大明神、猿田彦神社、水神社、菅原信清命社がある。
境内にはクスノキの巨樹群があり、最大のものは、胸高幹囲7.80メートル、樹高30メートル、南北30メートルの枝張りは、球状樹形をつくり、盛り上がった根張りは雄大。樹齢は300年超。「松森神社のクスノキ群」として県の天然記念物に指定されている。
明治40年(1907年)3月、陸軍大臣寺内正毅より、戦利兵器として大砲の弾が奉納され、境内に掲示されている。
なお、長崎三社に中川八幡神社、水神神社を含めると長崎五社となる。
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