大阪夏の陣で松平忠明が戦勝祈願、霊験を認めた浪速三神明
[住所]大阪府大阪市大正区鶴町2-7-29
[電話]06-6551-4831
神明神社(しんめいじんじゃ)は、大阪府大阪市大正区鶴町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
浪速三神明(大阪三神明)の一つで、南向きのため、日中乃神名、日中神明宮、日中神明社、照日の神明とも。
もともと後陽成天皇の御代に、京都の西院に祀らた。徳川家康の外孫で後に養子となった松平忠明が、大阪夏の陣に向う途中、当社で戦勝を祈願し、華々しい軍功を立てた。
その後の論功行賞で大阪城主となった忠明は、当社の霊験灼かなりと、大阪城・町中の守護神として元和2年(1616年)、京都から大阪蝋燭町(後の内平野町)に遷座した。
大阪の守護神として遷座したため、幕府から給金が支払われた。御祭神は、天照皇大神・八幡大神・春日大神。例祭は10月17日。
南向きの当社のほか、西向きの夕日神明(露天神社)、東向きの朝日神明(現 朝日神明社)とともに浪速三神明と称された。
三郷(南・北・天満)町中の祈祷の社として尊崇され、大阪の祈祷所ともされたが、時代が下るに連れ社地は狭小し、松屋町筋拡張工事が境内にかかることになったため、大正13年(1924年)8月に鶴町1丁目に遷座。
昭和20年(1945年)6月1日の戦禍で、摂社以外の社殿や社務所、倉庫、祭具、書画宝物、神社の記録まで一切を焼失。昭和23年(1948円)10月、地元会社氏子有志より復興。
昭和28年(1953年)10月、土地区画整理のため、現在地に遷座。昭和52年(1977年)6月に本社殿を造営、昭和60年(1985年)に玉垣が竣工した。
熊野詣の九十九王子の第一番、窪津王子祠は当社地にあったのではないかとも言われる。京都から船で八軒茶屋に上陸し、当社の東面方を南下する小路で現在もその名が残る御祓筋は、大阪の熊野詣の出発点とも。
摂社に橘稲荷神社、末社に琴平宮島二柱社、桜根稲荷社、出世天満宮がある。
【ご利益】
勝運、家内安全、厄除け、商売繁盛、安産、受験合格(公式HP)
【関連記事】
・浪速三神明とは? - 西向きの夕日・露天神社、東向きの朝日神明、南向きの日中神明の三社
・大阪府の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、大阪府に鎮座している神社の一覧
[電話]06-6551-4831
神明神社(しんめいじんじゃ)は、大阪府大阪市大正区鶴町にある神社。近代社格では村社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
浪速三神明(大阪三神明)の一つで、南向きのため、日中乃神名、日中神明宮、日中神明社、照日の神明とも。
もともと後陽成天皇の御代に、京都の西院に祀らた。徳川家康の外孫で後に養子となった松平忠明が、大阪夏の陣に向う途中、当社で戦勝を祈願し、華々しい軍功を立てた。
その後の論功行賞で大阪城主となった忠明は、当社の霊験灼かなりと、大阪城・町中の守護神として元和2年(1616年)、京都から大阪蝋燭町(後の内平野町)に遷座した。
大阪の守護神として遷座したため、幕府から給金が支払われた。御祭神は、天照皇大神・八幡大神・春日大神。例祭は10月17日。
南向きの当社のほか、西向きの夕日神明(露天神社)、東向きの朝日神明(現 朝日神明社)とともに浪速三神明と称された。
三郷(南・北・天満)町中の祈祷の社として尊崇され、大阪の祈祷所ともされたが、時代が下るに連れ社地は狭小し、松屋町筋拡張工事が境内にかかることになったため、大正13年(1924年)8月に鶴町1丁目に遷座。
昭和20年(1945年)6月1日の戦禍で、摂社以外の社殿や社務所、倉庫、祭具、書画宝物、神社の記録まで一切を焼失。昭和23年(1948円)10月、地元会社氏子有志より復興。
昭和28年(1953年)10月、土地区画整理のため、現在地に遷座。昭和52年(1977年)6月に本社殿を造営、昭和60年(1985年)に玉垣が竣工した。
熊野詣の九十九王子の第一番、窪津王子祠は当社地にあったのではないかとも言われる。京都から船で八軒茶屋に上陸し、当社の東面方を南下する小路で現在もその名が残る御祓筋は、大阪の熊野詣の出発点とも。
摂社に橘稲荷神社、末社に琴平宮島二柱社、桜根稲荷社、出世天満宮がある。
【ご利益】
勝運、家内安全、厄除け、商売繁盛、安産、受験合格(公式HP)
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