南大谷天神社と呼ばれる町田三天神の一つ、「幻の虚無僧寺」遺物
[住所]東京都町田市南大谷451
[電話]042-722-0937
天神社(てんじんじゃ)は、東京都町田市南大谷にある神社。御祭神は菅原道真。北野天満宮を本社とし、地名を冠して南大谷天神社(みなみおおやてんじんじゃ)とも。
本町田の菅原神社、町田天満宮とともに町田三天神の一つ。御朱印の有無は不明。
天保2年(1645年)2月25日、五十嵐豊前守勝春の末男五十嵐次郎左衛門が大谷村の村長となり、御神像を島山屋法春に作らせ、天満宮を鎮守とし泰安したと伝えられている。
別当は、ほぼ同じ時期に開基された普化禅宗金先派南松寺。明治維新に際して衰退、明治11年(1878年)頃に廃寺になった。
享保5年(1720年)2月25日、地頭の伊勢守平正清の家人(名主)であった五十嵐伝兵衛敬孝が平正清とともに、村の代表として京都に行き、御神像を大仏師康伝に依頼して修飾さる。
社宝の神額は、安永4年(1775年)5月25日、「正一位天神宮」の金文字で、金龍山月寺の長運観守の書である。
文化7年(1810年)9月25日に社殿再建。現社殿は昭和37年(1962年)12月に起工し、昭和39年(1964年)4月12日に竣工したもの。
本殿は、間口1.53メートル、奥行き1.26メートルの一間社流造で、市の有形文化財に指定されている。
全体から細部に至るまで地方的な作風を示さず、中央の系統につながるもので、建立時期は17世紀中ごろ、蟇股の造り、彫刻などは17世紀前半の技巧という。
例祭は9月25日。1月にはどんど焼きが行われる。境内社に稲荷神社がある。
なお、別当寺の南松寺は「幻の虚無僧寺」と呼ばれるようになり、全国でも珍しい虚無僧寺遺物として、昭和38年(1963年)以降、当杜氏子一同によって遺物の発掘と保全が行われた。
【ご利益】
学問・学業成就、開運

【関連記事】
・町田三天神 - 東京都町田市、本町田の菅原神社、原町田の町田天満宮、南大谷の天神社
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天神社(てんじんじゃ)は、東京都町田市南大谷にある神社。御祭神は菅原道真。北野天満宮を本社とし、地名を冠して南大谷天神社(みなみおおやてんじんじゃ)とも。
本町田の菅原神社、町田天満宮とともに町田三天神の一つ。御朱印の有無は不明。
天保2年(1645年)2月25日、五十嵐豊前守勝春の末男五十嵐次郎左衛門が大谷村の村長となり、御神像を島山屋法春に作らせ、天満宮を鎮守とし泰安したと伝えられている。
別当は、ほぼ同じ時期に開基された普化禅宗金先派南松寺。明治維新に際して衰退、明治11年(1878年)頃に廃寺になった。
享保5年(1720年)2月25日、地頭の伊勢守平正清の家人(名主)であった五十嵐伝兵衛敬孝が平正清とともに、村の代表として京都に行き、御神像を大仏師康伝に依頼して修飾さる。
社宝の神額は、安永4年(1775年)5月25日、「正一位天神宮」の金文字で、金龍山月寺の長運観守の書である。
文化7年(1810年)9月25日に社殿再建。現社殿は昭和37年(1962年)12月に起工し、昭和39年(1964年)4月12日に竣工したもの。
本殿は、間口1.53メートル、奥行き1.26メートルの一間社流造で、市の有形文化財に指定されている。
全体から細部に至るまで地方的な作風を示さず、中央の系統につながるもので、建立時期は17世紀中ごろ、蟇股の造り、彫刻などは17世紀前半の技巧という。
例祭は9月25日。1月にはどんど焼きが行われる。境内社に稲荷神社がある。
なお、別当寺の南松寺は「幻の虚無僧寺」と呼ばれるようになり、全国でも珍しい虚無僧寺遺物として、昭和38年(1963年)以降、当杜氏子一同によって遺物の発掘と保全が行われた。
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