黒目川の清流にそって鎮座する湧き水でも有名な柳窪天神社
[住所]東京都東久留米市柳窪4-15-16
[電話]-

天神社(てんじんじゃ)は、東京都東久留米市柳窪にある神社。柳窪天神社、黒目川天神社などとも。御祭神は菅原道真公。東京の天神さま32社の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建は不詳。

『新編武蔵風土記稿』に「稲荷天神相社 境内にあり、小社にして上屋六尺四方、拝殿三間に二間東向なり、前に鳥居を立つ、傍に古松あり、圍り二丈許、例祭三月、村内の鎮守也」とある。

柳窪村の鎮守で、江戸時代の後期には、稲荷天神相社と呼ばれ、稲荷社と天神社とが合祀されていたと考えられる。

この境内というのは、長福寺の境内を指しているようで、したがって別当寺は長福寺であった。

しかし、長福寺は、もとは他所にあったが、寛政5年(1793年)、当社境内に移されているので、当境内はもとは、当社境内であったことになる。

当社の社地をめぐって、村の百姓源七と村民とが争ったことが、延享4年(1747年)の文書に見られる。

延享4年の3-5年前に、村では、稲荷、天神両社の拝殿を建立したが、源七は天神社の土地は先祖代々の土地で、社も自ら立てたと主張。

しかし、それは全くの心得違いであり、天神社の土地は村の所有地だと訴えたものである。その後、源七の間違いもわかり、和議も成立した。

柳窪村は、寛文10年(1670年)の開村で、稲荷、天神両社の創建も、寛文10年をさかのぼることはなく、かつまた、延享ごろには別々に祀られていたが、江戸後期には、相社となって、二神が合祀された、ということになる。

しかし、幕末から明治になって、二神とは別の御祭神、菅原道真が祭られるようになったようで、『皇国地誌』には、「祭神菅原道真を勧請す。年月詳ならず」とある。

境内には、安政4年(1857年)、武蔵府中六所大明神(現 大國魂神社)の宮司近江守従五位下藤原朝臣盛章(猿渡盛章)が記した『梅林之記』の碑がある。

その中で、久留米の名の由来を「来目」「来梅」とし、黒目川も「来梅川」であって、梅林を「天神社の飛梅」と国学風に説き、道真と結びつけている。

湧き水でも知られ、「柳窪天神社の湧水」として東京の名湧水57選に選ばれている。黒目川の清流に沿って、遊歩道が整備されており、真夏でも一時の涼を得られる格好のウォーキングポイントとなっている。

例祭日は4月25日。その次の土日などにも、一般向けの催しが行われる。

【ご利益】
学問・学業成就、病気平癒、リフレッシュ
天神社(東久留米市) - 黒目川の清流にそって鎮座する湧き水でも有名な柳窪天神社
【関連記事】
東京の天神さま32社 - 東京梅風会の会員、リアルタイムの天神信仰の拠点、有力天満宮
東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
天神社(東久留米市)の御朱印