1665年に寺子屋を開業して創祀、9月の例祭や5月の弁天まつり
[住所]東京都世田谷区松原3-20-16
[電話]03-3321-6665
菅原神社(すがわらじんじゃ)は、東京都世田谷区松原にある神社。近代社格では村社。せたがやの天神、松原の天神などとも。御祭神は菅原道真で、東京の天神さま32社の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝に関するものは一切失われているので、創建は不詳だが、社殿に向って左の傍に高さ1メートル程の石碑がある。それによると正面に下記のようにある。
南無天満天自在天神、寛文五年願望主建立、生国武州江戸石井兵助
つまり、寛文5年(1665年)の創建となる。石井兵助が建立者だが、寺子屋を開業した際のものとも。宝暦11年(1761年)に社殿が造営されたという。
もとは天満宮、あるいは天神社といったが、明治7年(1874年)に現社号に改称された。
松原地域の鎮守で、現社殿は昭和41年の鉄筋コソクリートによる修築。前記石碑の傍に力石が4個横たわっている。大小さまざまであるが、いずれも丸味をおびた細長い石で、石の表面に奉納と記し、真中に重量が記されている。
重いもののは56貫(210kg)、軽くても33貫(123.7kg)。そのかたわらに年月日「安政4年(1857年)、明治18年(1885年)」などを記し、奉納者、つまりその石をもちあげた力者の名が記してある。
昔は、農家の休日には、若者達が鎮守の境内に集り、このような石を持ち上げて力くらべをして、互に自己の力量を誇り合い、その石を神社に奉納したものである。
また境内の鳥居の左手に絵馬所がある。10数枚の額や絵馬が周壁にかかげられているが、明治37、8年戦役(1904年-1905年の日露戦争)の大砲のケース、小エンピなどの戦利品が額にはめこめられて、掲げてある。
例祭は9月第4日曜とその前日。5年ごとに式年祭がある。神輿渡御が行われる。
境内には弁天池と厳島神社、御嶽神社、稲荷神社などがある。毎年5月第2日曜日には弁天まつりが行われ、知恵餅・福銭の散供が行われる。
【ご利益】
学問・学業成就、家内安全、開運

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菅原神社(すがわらじんじゃ)は、東京都世田谷区松原にある神社。近代社格では村社。せたがやの天神、松原の天神などとも。御祭神は菅原道真で、東京の天神さま32社の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。
社伝に関するものは一切失われているので、創建は不詳だが、社殿に向って左の傍に高さ1メートル程の石碑がある。それによると正面に下記のようにある。
南無天満天自在天神、寛文五年願望主建立、生国武州江戸石井兵助
つまり、寛文5年(1665年)の創建となる。石井兵助が建立者だが、寺子屋を開業した際のものとも。宝暦11年(1761年)に社殿が造営されたという。
もとは天満宮、あるいは天神社といったが、明治7年(1874年)に現社号に改称された。
松原地域の鎮守で、現社殿は昭和41年の鉄筋コソクリートによる修築。前記石碑の傍に力石が4個横たわっている。大小さまざまであるが、いずれも丸味をおびた細長い石で、石の表面に奉納と記し、真中に重量が記されている。
重いもののは56貫(210kg)、軽くても33貫(123.7kg)。そのかたわらに年月日「安政4年(1857年)、明治18年(1885年)」などを記し、奉納者、つまりその石をもちあげた力者の名が記してある。
昔は、農家の休日には、若者達が鎮守の境内に集り、このような石を持ち上げて力くらべをして、互に自己の力量を誇り合い、その石を神社に奉納したものである。
また境内の鳥居の左手に絵馬所がある。10数枚の額や絵馬が周壁にかかげられているが、明治37、8年戦役(1904年-1905年の日露戦争)の大砲のケース、小エンピなどの戦利品が額にはめこめられて、掲げてある。
例祭は9月第4日曜とその前日。5年ごとに式年祭がある。神輿渡御が行われる。
境内には弁天池と厳島神社、御嶽神社、稲荷神社などがある。毎年5月第2日曜日には弁天まつりが行われ、知恵餅・福銭の散供が行われる。
【ご利益】
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