左遷途上の菅原道真お手植えの曽根の松と秋祭りで知られる「播磨学神」
[住所]兵庫県高砂市曽根町2286-1
[電話]079-447-0645

曽根天満宮(そねてんまんぐう)は、兵庫県高砂市曽根町にある神社。近代社格では県社。秋祭りや天然記念物であった曽根の松で知られる。

主祭神は菅原道真天之穂日命、菅原公達(菅原淳茂)を合祀する。菅公聖蹟二十五拝の第16番。参拝すれば、「播磨学神」などと入った御朱印を頂ける。

社伝では、延喜元年(901年)に道真が大宰府に左遷される途上に伊保の港から上陸し、「我に罪なくば栄えよ」と松を手植えした。

これが霊松・曽根の松で、現在も幹が保存されている。後に播磨国に流罪となった子の菅原淳茂が創建した。

淳茂は延喜8年(908年)に帰京するため、その間の創祀となる。

天正6年(1578年)、豊臣秀吉の播州征伐の際兵火にかかり社殿を焼失するが、天正18年(1591年)に寺沢越中守を奉行として本殿を再建、社領10石を寄せた。

慶長14年(1609年)には、徳川家康の息女で姫路城主池田輝政の側室である督姫の寄進により拝殿を建立、慶安元年(1648年)には三代将軍徳川家光が朱印領30石を寄せ、以後累代の将軍はこれに習った。

現存する参道正面の随身門は享保12年(1717年)の大普請の際に建立された。

幣殿は明和2年(1765年)建立の瓦葺切妻造。同年には拝殿を再建、旧拝殿は社務所となったが、平成12年(2000年)に取り壊された。

徳川光圀が『菅公廟記』を撰し、霊元院が和歌を奉納、参勤交代の途次に参拝する大名も多くなったという。

特に鹿児島藩主島津氏は、霊松の枝で天神像を刻み国元に持ち帰りお祀りしたという。

また、伊藤東涯が『研松記』を、頼山陽が『霊松詩』を奉納している他、小林一茶、シーボルトなど文人墨客が数多く訪れ、詩文を献上した。

曽根の松は、初代が寛政10年(1798年)に枯死したとされ、1700年代初期に地元の庄屋が作らせた約10分の1の模型が保存されており、往時の様子を知ることができる。

天明年間(1781年-1789年)に手植えの松から実生した二代目の松は、大正13年(1924年)に国の天然記念物に指定されたが、昭和27年(1952年)に枯死。

現在は五代目。枯死した松の幹が霊松殿に保存されている。

例祭は10月13・14日。秋季例大祭、秋祭として知られる。一ツ物、和供(にごく)、流鏑馬が神事として行われる。一ツ物神事は、大塩天満宮でも行われている。

氏子地域からは11台の屋台、4台の子供屋台が宮入りする。この地域の屋台は反り屋根型布団屋台と呼ばれるもので、北ノ丁が姫路市別所町の宮大工に作らせたのが起源で、当宮が発祥である。

また、旧印南郡の国恩祭の一社で、当社でも11年に一度斎行され、当社の次回予定は2024年。

【ご利益】
合格祈願、厄除け、交通安全、安産祈願(公式HP
曽根天満宮 - 左遷途上の菅原道真お手植えの曽根の松と秋祭りで知られる「播磨学神」
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曽根天満宮の御朱印