道真の師の作によると伝わる天神尊像を祀る、箕輪天神
[住所]東京都台東区三ノ輪1-27-3
[電話]03-3872-2611

綱敷天満宮(つなしきてんまんぐう)は、東京都台東区三ノ輪、梅林寺境内にある神社。秘仏・綱敷天神尊像がある。伝承通りであれば、平安中期の作だが、実際は室町期末まで下るとも。綱敷は、菅原道真の有名な伝承によるものと思われる。御朱印の有無は不明。

梅林寺は、開山(初代住職)が、本寺、現在の茨城県石岡市宇治会源照寺の第二世、天室修悦大和尚であり、天外栄呑和尚の開基によって創立。

栄呑和尚は生没年は不明だが、開山修悦和尚の没年は文禄2年(1596年)2月20日のため、天正年間(1573年-1593年)あるいは文禄年間(1593年-1596年)の開創となる。

初めは南千住小塚原のあたりにあって、龍源寺と称した。

時は遡って平安中期、尊意亜砂利(866年-940年)は菅原道真の師と言われる。その作と伝わる綱敷天神尊像は、代々下総国府台の城主、里見家の鎮守神としてその城中に祀ってあった。

しかし慶長19年(1614年)6月、里見家没落の際、その家臣である甲坂和泉長経が霊夢によって天神像に供奉し、下総平井村(現 江戸川区平井)に棲居して、姓も平井と改めた。

万治年間(1658年-1660年)、四代将軍徳川家綱の頃、伊勢亀山藩主である石川主殿頭忠總の子、甚十郎邦總が幕府の中奥藩士、御膳番などを勤めていたが、病のため辞し、箕輪の里の下屋敷に閑居していた。

邦總の臣で、里見家家臣の子孫、平井八兵衛長次は、主君の病悩平癒、武運長久の祈願のために、小塚原の裏地、天神山に祀ってあった綱敷天神尊像とともに、現地箕輪へ移転し、承応3年(1654年)に当地に移転していた龍源寺を華嶽山梅林寺と改めて建立。

しかし安政2年(1855年)の安政の大地震で、天満宮祠は全壊、大正4年(1915年)の勧進により再建、昭和42年(1967年)、本堂に移され現在に至る。

江戸後期以降、「箕輪の天神」などと親しまれ、明治期においても「箕輪天神」として定着していた、いわゆる江戸二十五天神の一社。下記の文献に見える。

『武陽菅原詣』収録の天神
東都二十五天神(『卯花園漫録』)
府内天神(『江戸拾葉』)
菅祠二十五社(『霊神仏之記』)
東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)

【ご利益】
学問・学業成就、病気平癒、武運長久(公式HP<ご利益の記載はない>)
綱敷天満宮(台東区、梅林寺) - 道真の師の作によると伝わる天神尊像を祀る、箕輪天神
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