五代将軍綱吉が石清水八幡宮を勧請、相撲と古典落語ゆかり、富坂天神とも
[住所]東京都台東区蔵前3-14-11
[電話]03-3851-0617

藏前神社(くらまえじんじゃ、蔵前神社)は、東京都台東区蔵前にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

相撲とゆかりが深く、古典落語「元犬」や「阿武松」の舞台として知られる。

現在、御祭神は誉田別天皇息長足姫命、姫大神、倉稲魂命菅原道真公、塩土翁命

元禄6年(1693年)8月、京の男山の石清水八幡宮を五代将軍徳川綱吉が当地に勧請、奉斎し、江戸城鬼門除の守護神ならびに将軍家祈願所の一社として尊崇、御朱印社領200石を寄進した。

江戸時代には別当職の僧侶も在任し、文殊院または大護院の八幡宮とも称されたが、一般には、藏前八幡あるいは「藏前の八幡さま」と親しまれ、庶民の崇敬者も極めて多く、歴史は浅いにも関わらず、関東地方における名社の一つに数えられた。

当社の創建当時は境内地も2270坪以上を有し、勧進大相撲の開催も22回におよび、この間大関谷風・大関雷電・関脇小野川などの名力士も当社境内を舞台に活躍し、賑わいを呈した。現在も日本相撲協会との関わりが深い。

安政の大地震に際して、幕府は安政4年(1857年)7月、当社境内に高さ1丈5尺の「宝塔」1基(大施餓鬼塔)を建立し、その10月に開眼供養が行われた。明治3年、練馬の東高野山に移された。

明治以降別当職は廃止され、明治11年(1878年)11月には石清水神社と改称、同19年(1886年)4月に石清水八幡宮と改称する。

大正12年(1923年)9月の関東大震災により社殿焼失、その後、再建された社殿も昭和20年(1945年)3月の戦災により焼失した。

昭和22年(1947年)9月、隣接の稲荷神社と相殿・北野天満宮を合祀し、昭和26年(1951年)3月、現社号に改称した。

平成7年(1995年)10月、創建当初から境内社として鎮座していた鹽竈神社(陸奥国一宮鹽竈神社の遥拝殿)を合祀した。

当社の北野天満宮は明治期、富坂天神と呼ばれた、いわゆる江戸二十五天神の一社と思われる。『菅原大神千年大祭図会』に東京天満宮二十五社の一社として記載されている。

境内末社に福徳稲荷神社がある。御祭神は倉稲魂命で、商売繁昌・五穀豊穣・家内安全のご利益があるという。例祭は2月初午の日。

桜森(さくらもり)とも呼ばれることがあり、江戸八森、江戸廿一森(いずれも社名や通称に「森」の付く江戸を代表する稲荷系神社)の一社に数えられる場合がある。

本社の例大祭は6月第1土・日曜日。西暦奇数年に本社神輿が渡御する。

【ご利益】
厄除開運、家内安全、交通安全、商売繁昌、学業成就、安産子育(公式HP
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