東京23区最高峰26メートル愛宕山に鎮座する火防の神、出世の石段
[住所]東京都港区愛宕1-5-3
[電話]03-3431-0327

愛宕神社(あたごじんじゃ)は、東京都港区愛宕にある神社。近代社格では村社。山手線内では珍しい、自然に形成された山としては東京23区最高峰となる愛宕山(標高26メートル)山頂にある。

総本社は京都の愛宕神社。参拝すれば、「伏火之総本社」などとある御朱印が頂ける。名物の出世の石段(男坂)をあしらえたオリジナルの御朱印帳がある。

主祭神は火産霊命(ほむすびのみこと)。罔象女命(みずはのめのみこと)・大山祇命(おおやまづみのみこと)・日本武尊(やまとたけるのみこと)・将軍地蔵菩薩(しょうぐんじぞうぼさつ)・普賢大菩薩(ふげんだいぼさつ)を配祀する。

公式サイトにはないが、天神社(御祭神:菅原道真)を合祀している模様。なぜか本殿前には胡蝶蘭が絶えることなく奉納されている。

慶長8年(1603年)、徳川家康の命により、家康が信仰した勝軍地蔵菩薩を勧請して創建。同社の本地仏として別当寺の円福寺に祀ったことに始る。

慶長15年(1610年)、庚戊本社をはじめ、末社仁王門、坂下総門、別当所などは将軍家の寄進により、建立された。

寛永11年(1634年)、徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にある梅が咲いているのを見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言った。

讃岐丸亀藩の家臣・曲垣平九郎が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた。出世の石段のいわれ。

明治の廃仏毀釈により円福寺が廃寺になると、勝軍地蔵菩薩像は近くの真福寺に移されたが関東大震災で焼失。

昭和9年(1934年)の弘法大師1100年御遠忌記念として銅製で復元され、現在は、平成9年(1997年)に建設された真福寺・愛宕東洋ビル一階外側に祀られている。

江戸期に大火で焼失した社殿は、明治19年9月に本殿、幣殿拝殿、社務所が再建された。

大正12年(1923年)9月1日には関東大震災に、昭和20年(1945年)5月24日には戦災で焼失、昭和33年(1958年)9月に再建された。

境内社に、太郎坊社(猿田彦神)、福寿稲荷社(宇迦御魂神)、大国天社(大國主命事代主命)、弁財天社(市杵島姫命)がある。

6月23日夜-24日早朝に千日詣りが行われる。いわゆる茅の輪くぐりだが、同時に催されるほおずき市はこの地が元祖。

例大祭は9月22日-24日。別名は出世の石段祭。2年に1度、神輿が男坂(出世の石段)を行き来する。

境内案内によれば、本殿に合祀している天神社は、「愛宕下長者弁天」の天神などとして、江戸期には広く知られていた天神だと思われる。江戸で愛宕と言えば当地だが、他に、愛宕の天神が見えないため。その際、弁天は現境内社の弁財天社を指すか。

『武陽菅原詣』収録の天神
東都二十五天神(『卯花園漫録』)
府内天神(『江戸拾葉』)
菅祠二十五社(『霊神仏之記』)

以上の江戸期の資料に散見され、いわゆる江戸二十五天神の一社と思われる。

愛宕神社(京都府京都市)、愛宕神社(福岡県福岡市)とともに、日本三大愛宕の一つともされる。

【ご利益】
防火・防災、印刷・コンピュータ関係、商売繁盛、恋愛・結婚・縁結び(公式HP
愛宕神社(港区) - 東京23区最高峰26メートル愛宕山に鎮座する火防の神、出世の石段
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愛宕神社(港区)の御朱印