ヤマトタケルが鎧を埋め、平将門の鎧が埋められた古社、境内に元天神
[住所]東京都新宿区北新宿3-16-18
[電話]03-3371-7324
鎧神社(よろいじんじゃ)は、東京都新宿区北新宿にある神社。参拝すれば、御朱印を頂けるが、頂けない時間帯もあるようなので、事前に要確認。
御祭神は、日本武命、大己貴命、少彦名命、平将門公。旧称は鎧大明神。
創建以前、この地には日本武命が第12代景行天皇の命によって東国の平定に向かった際、当地に甲冑六具を蔵めた(しまいかくした)という伝説がある。
醍醐天皇の時代(898年-929年)、理源大師の徒弟である筑波の貞崇僧都が、行基作と伝えられる薬師如来像をこの地に祀り、円照寺を創建した。
その際、寺の鬼門鎮護のため当社が創建されたと伝えられる。
天慶3年(940年)、関東に威をとなえていた平将門が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(947年)、将門の鎧を当地に埋めたという。
また一説によると、将門を討った後、重病となった藤原秀郷が、 将門の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、将門の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、 病気が快癒したという。
東京(江戸)には将門の首(から上)に関する伝承は数多く残されているが、胴体に関しては珍しい。
加門七海『平将門は神になれたか』(文庫版は『平将門魔方陣』)において、江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として配置されているとの指摘があるが、当社は、その中で北斗七星の柄杓の柄の最終部分を構成するミザールに相当するとされる。
以後、村の鎮守の社として近隣の尊崇を受け、現在の社号もこうした伝承によって固まって来たものと思われる。
明治の中頃、元々北柏木公園(北新宿四丁目)の地に鎮座しており、成子天神社の元の社であるために元天神とも称す天神社(菅原道真)を、摂社として境内に移設。祭日は11月25日。
『天満宮御伝記略』にある御内府及び御内府近辺二十五天神の一社として「四谷新宿 」と記載される天神で、いわゆる江戸二十五天神の一社であろう。
境内末社に稲荷神社(宇迦御魂命。祭日:2月2の午の日)、三峯神社(伊弊諾命、伊芽冊命。祭日:2月2の午の日)、子の権現(大国主命)がある。
天神社の両脇にある狛犬は、全国的にも非常に珍しい狛犬型庚申塔で、区の有形民俗文化財に指定されている。造営は享保6年(1721年)で、向かって右側が阿形像(雄)、左側は叫形像(雌)。
【ご利益】
病気平癒、武運長久、五穀豊穣・商売繁盛、学問・学業成就(公式HP)
【関連記事】
・江戸二十五天神 - よく言われるのに資料のない不思議な菅公巡拝、東京の代表的な天満宮
・江戸の平将門魔方陣 - 将門封じ? 東京ど真ん中に大規模な北斗七星と調伏の構えが現存
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
[電話]03-3371-7324
鎧神社(よろいじんじゃ)は、東京都新宿区北新宿にある神社。参拝すれば、御朱印を頂けるが、頂けない時間帯もあるようなので、事前に要確認。
御祭神は、日本武命、大己貴命、少彦名命、平将門公。旧称は鎧大明神。
創建以前、この地には日本武命が第12代景行天皇の命によって東国の平定に向かった際、当地に甲冑六具を蔵めた(しまいかくした)という伝説がある。
醍醐天皇の時代(898年-929年)、理源大師の徒弟である筑波の貞崇僧都が、行基作と伝えられる薬師如来像をこの地に祀り、円照寺を創建した。
その際、寺の鬼門鎮護のため当社が創建されたと伝えられる。
天慶3年(940年)、関東に威をとなえていた平将門が藤原秀郷によって討たれると、この地の人々はその死を悼み、天暦元年(947年)、将門の鎧を当地に埋めたという。
また一説によると、将門を討った後、重病となった藤原秀郷が、 将門の神霊の崇りであると恐れ、薬師如来を本尊とする円照寺に参詣し、将門の鎧を埋め、祠を建ててその霊を弔ったところ、 病気が快癒したという。
東京(江戸)には将門の首(から上)に関する伝承は数多く残されているが、胴体に関しては珍しい。
加門七海『平将門は神になれたか』(文庫版は『平将門魔方陣』)において、江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として配置されているとの指摘があるが、当社は、その中で北斗七星の柄杓の柄の最終部分を構成するミザールに相当するとされる。
以後、村の鎮守の社として近隣の尊崇を受け、現在の社号もこうした伝承によって固まって来たものと思われる。
明治の中頃、元々北柏木公園(北新宿四丁目)の地に鎮座しており、成子天神社の元の社であるために元天神とも称す天神社(菅原道真)を、摂社として境内に移設。祭日は11月25日。
『天満宮御伝記略』にある御内府及び御内府近辺二十五天神の一社として「四谷新宿 」と記載される天神で、いわゆる江戸二十五天神の一社であろう。
境内末社に稲荷神社(宇迦御魂命。祭日:2月2の午の日)、三峯神社(伊弊諾命、伊芽冊命。祭日:2月2の午の日)、子の権現(大国主命)がある。
天神社の両脇にある狛犬は、全国的にも非常に珍しい狛犬型庚申塔で、区の有形民俗文化財に指定されている。造営は享保6年(1721年)で、向かって右側が阿形像(雄)、左側は叫形像(雌)。
【ご利益】
病気平癒、武運長久、五穀豊穣・商売繁盛、学問・学業成就(公式HP)
【関連記事】
・江戸二十五天神 - よく言われるのに資料のない不思議な菅公巡拝、東京の代表的な天満宮
・江戸の平将門魔方陣 - 将門封じ? 東京ど真ん中に大規模な北斗七星と調伏の構えが現存
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
コメント