寛永年間に創建された山王日枝神社の摂社、茅場町天神・楓川天神
[住所]東京都中央区日本橋茅場町1-6-16
[電話]03-3666-3574
日枝神社日本橋摂社(ひえじんじゃにほんばしせっしゃ)は、東京都中央区日本橋茅場町にある神社。参拝すれば、「摂社 日枝神社」などとある御朱印を頂ける。
日枝神社(千代田区永田町、山王日枝神社)の摂社。日本橋日枝神社、山王御旅所とも。
天正年間(1573年-1592年)より、日枝神社の祭礼に八丁堀北嶋祓所の御旅所まで神輿が船で神幸したことに当社の起源がある。
寛永年間(1624年-1645年)に当地を日枝神社の御旅所と定め、遥拝所が設けられた。御祭神は本社の主祭神と同様、大山咋神。相殿に浅間大神、菅原大神、稲荷大神を祀る。
明治10年(1877年)に、日枝神社と改称して無格社となる。大正4年(1945年)、本社が官幣大社に昇格するのに伴い、本社の境外摂社とされる。
もとは末社として天満宮があって、本社の後ろ、数十歩の地に祠があった。菅原道真を祀る。
江戸期から明治期にかけての書籍である下記に記載され、江戸においてよく知られた天神の一社であった。
・東都御府内天満宮諸社(『菅丞相往来』)
・東都二十五天神(『卯花園漫録』)
・府内天神(『江戸拾葉』)
・菅祠二十五社(『霊神仏之記』)
・御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)
・東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)
『菅神御一代文章』の東都七天神には含まれていないが、その付記に「かやば町 山王たび所」と見える。
他に、翁稲荷社と桂馬稲荷社が、天満宮に接して祠があり、また、浅間神社があったという。茅場町天神を含め、これらは関東大震災後の昭和3年(1928年)、本殿に合祀された。
境内社として、明徳稲荷神社などがある。なお、この明徳稲荷神社が楓川天神を合祀したという資料もある。なお、明徳稲荷神社という社号の神社は、中野区中央にもある。
【ご利益】
諸願成就、安産祈願、子授け、厄除、学問・学業成就

【関連記事】
・江戸二十五天神 - よく言われるのに資料のない不思議な菅公巡拝、東京の代表的な天満宮
・東京都の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、東京都に鎮座している神社の一覧
[電話]03-3666-3574
日枝神社日本橋摂社(ひえじんじゃにほんばしせっしゃ)は、東京都中央区日本橋茅場町にある神社。参拝すれば、「摂社 日枝神社」などとある御朱印を頂ける。
日枝神社(千代田区永田町、山王日枝神社)の摂社。日本橋日枝神社、山王御旅所とも。
天正年間(1573年-1592年)より、日枝神社の祭礼に八丁堀北嶋祓所の御旅所まで神輿が船で神幸したことに当社の起源がある。
寛永年間(1624年-1645年)に当地を日枝神社の御旅所と定め、遥拝所が設けられた。御祭神は本社の主祭神と同様、大山咋神。相殿に浅間大神、菅原大神、稲荷大神を祀る。
明治10年(1877年)に、日枝神社と改称して無格社となる。大正4年(1945年)、本社が官幣大社に昇格するのに伴い、本社の境外摂社とされる。
もとは末社として天満宮があって、本社の後ろ、数十歩の地に祠があった。菅原道真を祀る。
寛永年間、柳營に奉仕の春日局、大樹より拝受せられしを、山王の神主日吉左京進へ附與あり、其後諸井氏請得て、ここに勧請なし奉るとなり江戸期は茅場町薬師の地などと称され、茅場町天神、楓川天神などと親しまれた。いわゆる江戸二十五天神の一社であろう。
江戸期から明治期にかけての書籍である下記に記載され、江戸においてよく知られた天神の一社であった。
・東都御府内天満宮諸社(『菅丞相往来』)
・東都二十五天神(『卯花園漫録』)
・府内天神(『江戸拾葉』)
・菅祠二十五社(『霊神仏之記』)
・御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)
・東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)
『菅神御一代文章』の東都七天神には含まれていないが、その付記に「かやば町 山王たび所」と見える。
他に、翁稲荷社と桂馬稲荷社が、天満宮に接して祠があり、また、浅間神社があったという。茅場町天神を含め、これらは関東大震災後の昭和3年(1928年)、本殿に合祀された。
境内社として、明徳稲荷神社などがある。なお、この明徳稲荷神社が楓川天神を合祀したという資料もある。なお、明徳稲荷神社という社号の神社は、中野区中央にもある。
【ご利益】
諸願成就、安産祈願、子授け、厄除、学問・学業成就

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