ヤマトタケル創建の医薬祖神、3年に一度の大神輿渡御がある、下谷天神
[住所]東京都台東区上野公園4-17
[電話]03-3823-2034

五條天神社(ごじょうてんじんじゃ)は、東京都台東区上野にある神社。参拝すれば、当社と境内社の花園稲荷神社の御朱印を頂ける。各300円。

「医薬祖神」(薬祖神)、五条天神社とも表記されるが、「條」が正式。五條神社とも。『江戸名所図会』にも記載される。

社伝によれば、第12代景行天皇の時代、日本武尊が東征の折に大己貴命少彦名命を上野忍が岡に祀ったものが創祀。

尭恵(ぎょうえ、1430年-没年不詳)の『北国紀行』に、下記の歌が見える。その正月は文明18年(1486年)とされる。
正月の末 武蔵野のさかい忍ヶ岡を優遊しはべり鎮座の社五條天神と申しはべり、折ふし枯れたる茅原を焼きはべり

契りをきて誰かは春の初草に 忍ヶ岡の露の下萌え
相殿の菅原道真公は、江戸時代に入り寛永18年(1641年)に合祀された。俗称では下谷天満宮、下谷天神とも言われ、いわゆる江戸二十五天神の一社だろう。

東都御府内天満宮諸社(『菅丞相往来』)
『武陽菅原詣』収録の天神
東都七天神(『菅神御一代文章』)
東都二十五天神(『卯花園漫録』)
府内天神(『江戸拾葉』)
菅祠二十五社(『霊神仏之記』)
御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)
東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)

以上の各書に記載がある、江戸期から明治期にかけて、江戸・東京の極めて有力な天神として知られた。現在は東京の天神さま32社の一社。

当社は谷保天満宮湯島天満宮とともに江戸三大天神の一社とされる場合がある。通常は、谷保天満宮、湯島天満宮に亀戸天神社。谷保天満宮の代わりに平河天満宮を入れる場合がある。

天神山(現摺鉢山)や瀬川屋敷(現アメヤ横丁入口)など、幾度か社地を転々とした後、昭和3年(1928年)9月に創祀の地に最も近い現在地に遷座した。

例大祭は毎年5月25日。3年に一度、千貫神輿と呼ばれる大神輿の渡御がある。近い日曜に氏子内を鳳輦と共に、天狗や巫女舞などの大行列となって巡幸する。

2010年は縁起による鎮座1900年を記念して、2011年に予定されていた3年おきの大神輿渡御を繰り上げた大祭が行われた。そのため、直近では2014年に行われ、次回は2017年。

毎月10日には医薬祭が行われる。毎年1月25日に鷽替えの神事があり、道真に由来する行事で、旧年中の鷽を神前に納めて罪を滅ぼし、新しい鷽と受け替える。

宮司による桧の一刀彫りで、正月3が日にも授与される。2月の節分は、うけらの神事。

境内社に花園稲荷神社(忍岡稲荷神社)がある。御祭神は倉稲魂命。創建は不詳だが、当社が移転してくる以前からこの地にあった神社である。

日本橋本町にある薬事協会ビルの屋上には、薬祖神社として御分霊を祀っており、毎年10月17日に薬業関係者により祭典が行われる。

【ご利益】
医薬、病気平癒、学問・学業成就、歌・芸能(公式HP
五條天神社 - ヤマトタケル創建の医薬祖神、3年に一度の大神輿渡御がある、下谷天神
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五條天神社の御朱印
五條天神社の御朱印20151107
花園稲荷神社の御朱印20151107
五條天神社の詳細なご由緒(社務所で御配布頂いたもの)
花園稲荷神社の詳細なご由緒(社務所で御配布頂いたもの)