江戸中最古の冨士塚、眼病と水商売・消防に霊験ある霊水で有名、高田天神
[住所]東京都新宿区西早稲田3-5-43
[電話]03-3200-4621

水稲荷神社(みずいなりじんじゃ)は、東京都新宿区西早稲田にある神社。参拝すれば、御朱印を頂けるが、頂けない時間帯もあるようなので、事前に要確認。

近代社格では村社。眼病のほか、水商売および消防の神様として有名である。

平安時代の天慶4年(941年)、藤原秀郷が冨塚の地に稲荷大神を勧請し、「冨塚稲荷」と命名された。御祭神は、倉稲魂大神佐田彦大神大宮姫大神

平将門の乱の僭称に対する神恩感謝だと思われる。元禄15年(1702年)に御神木の椋の根元より霊水が湧きだし、眼病に利くとして評判となり、火難退散の神託が下ったことから、現社号に改名。

天明8年(1788年)、「江戸の水稲荷」を名乗る翁が現れ、京都御所の大火に功績を認められ、「関東稲荷総領職」を賜る。昭和38年(1963年)、早稲田大学と土地交換を行い、甘泉園(清水徳川家の下屋敷)である現社地に遷座。

境内にある「高田富士」(戸塚富士あるいは富塚富士とも)は早稲田大学拡張工事の際に、同大学の構内にあった江戸中最古の富士塚を移築したもの。

普段は登拝できないが、7月の海の日とその前日に催される「高田富士まつり」の際に一般の登拝が可能となる。

境内社に浅間神社がある。冨士塚の麓に鎮座し、御祭神は木花咲耶姫尊石長姫尊。三島神社では、甘泉園の旧所有者、清水家の守護神を祀る。また、水神社、大国社がある。

早稲田大学構内にあったものを移した高木神社と、早稲田大学創立者大隈重信が日々拝礼したことで知られる北野神社(菅原道真)は、早稲田大学への受験合格祈願の霊験が顕著と評判。

北野神社の由来について。大友宗麟の孫の大友義延は二代将軍徳川秀忠に仕え、現在の天神町から榎町にかけて屋敷を賜って住んでいた。義延はこの屋敷内に太宰府天満宮を勧請し、祀った。

義延の死後大友家は断絶、天満宮は尾張徳川家の外山屋敷から、真定院へ移され高田天神と呼ばれて崇敬された。真定院が明治維新において廃寺となったので、高田天神は牛込天神町から当社の境内に移転した。

当社の北野神社は高田天神として親しまれた、いわゆる江戸二十五天神の一社。江戸期から明治期にかけての書籍である下記に記載されており、江戸において有力な天神の一つ。

東都御府内天満宮諸社(『菅丞相往来』)
『武陽菅原詣』収録の天神
東都二十五天神(『卯花園漫録』)
府内天神(『江戸拾葉』)
菅祠二十五社(『霊神仏之記』)
御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)
東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)

『菅神御一代文章』の東都七天神には含まれていないが、その付記として「高田」がみえる。

なお、牛込天神町には、現在に至るまで天神町北野神社が存続しているが、これは、大友家断絶後に屋敷を拝領した大橋隆慶(およそ三代将軍家光の頃)が大友家とは別に信仰した天神で、いわゆる大橋天神。やはり江戸二十五天神の一社。

創建の由緒としては、烏森神社と共通する。加門七海『平将門は神になれたか』(文庫版は『平将門魔方陣』)において、江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として北斗七星の形に配置されているとの指摘があり、当社は北斗七星の柄杓の柄のミザールに相当するとされる。

一方で、ミザールを稲荷鬼王神社にした場合、烏森神社と当社を結ぶライン上は、上記の北斗七星の魔方陣で、ちょうど将門の頭部と将門の胴体を象徴するような神社群を分断するという指摘がある。秀郷は霊的にも将門抹殺の術を施したことになる。

【ご利益】
商売繁盛、眼病治癒、火難退散、学業成就

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水稲荷神社の御朱印