東大久保村の鎮守社、大久保の天満宮として知られる、江戸期の有力天神
[住所]東京都新宿区新宿6-21-1
[電話]03-3351-5875

西向天神社(にしむきてんじんじゃ)は、東京都新宿区新宿にある神社。近代社格では村社。東京の天神さま32社の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

古来より東大久保村の鎮守社であった。現在でも境内は広く、新宿都心にありながら、椎の木などが森をなしている。

大久保の天満宮と称し、京都の北野天満宮を勧請したもの。安貞2年(1282年)に菅原道真自作の尊像を持って下向した明恵上人(1173年-1232年)が創建したと伝えられる。

道真の左遷先、そしてその霊廟たる太宰府天満宮の方へ向かい社殿を西向きに造っているため西向天神と呼ばれた。

また棗の天神とも。「江戸名所図会」ではその由来を不明としているが、一説に三代将軍徳川家光が鷹狩りの際に立ち寄り、境内が荒れている様を見て、黄金の棗を下されたからだと言われる。

天正年間(1573年-1592年)に兵火を受け焼失したが、尊像だけは不思議と無事だったと伝わる。

村人により祠が建てられ、その後、聖護院宮道晃法親王が江戸に下った祭に、元信という僧侶に命じ社殿などが再建された。天保13年(1842年)には富士塚が築かれ、現在でも境内に残る。

別当寺であった梅松山大聖院は、当社の北側にあり、江戸時代には聖護院宮を開基とする門跡寺院で、本山修験派の江戸の拠点となっていた。

『遊歴雑記』(文化10年(1813))には、当社が、慶安(1648年-1651年)から天和(1681年-1683年)ごろまでは、境内に桜が多く、花見の名所であったこと、御神体の尊像は木像の天神像で、長さ7、8寸の荒木の座像であったとしている。

明治5年(1872年)11月に村社となる。例祭は隔年の6月25日。余丁町の厳嶋神社を管理しており、御朱印も頂ける。

主祭神は菅原道真。相殿に稲荷大神、厳島大神、秋葉大神を祀る。末社に、孔雀明王、稲荷、弁天、白太夫社、石尊、神明、秋葉、浅間の各社がある。

境内には、太田道灌の山吹の里伝説に登場する紅皿の墓と伝えられる板碑があり、寺の前の狭い石段を山吹坂と呼んでいる。

いわゆる江戸二十五天神には諸説あるが、当社は、江戸期から明治期にかけての書籍である下記に記載されており、記載量だけで言えば、湯島天満宮亀戸天神社平河天満宮に次いで多いグループの一角で、牛天神北野神社に比肩し、極めて有力な天神だったと言える。

東都御府内天満宮諸社(『菅丞相往来』)
東都七天神(『菅神御一代文章』)
東都二十五天神(『卯花園漫録』)
府内天神(『江戸拾葉』)
菅祠二十五社(『霊神仏之記』)
御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)…大久保七面?
東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)

【ご利益】
学問・学業成就、受験・試験合格
西向天神社 - 東大久保村の鎮守社、大久保の天満宮として知られる、江戸期の有力天神
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西向天神社の御朱印
西向天神社の御朱印20151031